箱物語(仮)86


とても遅いことも、とても速すぎることも、
それが落下であれば、認識できないという点で同じかもしれない。

珍しくルカは、一人で仕事の現場に来ていた。
ビルの屋上。
屋上から別のビルの屋上に、
はしごがかかっている。
吊っていないから吊り橋ではないが、
梯子橋といった風で。

橋の向こうに、男がいる。
かなり高いビルの屋上。
フェンスはとうに乗り越えていて、
梯子橋の始まりの場所で、ニヤニヤ笑っている。
男の過去の箱には、違法記録が入っていることを、
ルカの箱の目が見ている。
この橋を渡らなければ、過去の箱を展開できない。
そして、ひいては、
この橋を渡らなければ、
この男を助けることが出来ない。

ルカは、銀色の端末から、記録をダウンロードしようとして、やめた。
これは生身でないといけないとルカは思った。
生身で越えなければいけない。
記録を落として何かを越えるのは、
ルカが越えたことにならない。
それは、記録が越えたことだ。

ルカはフェンスを越えて、
梯子橋の端っこに立つ。
「来れるか?」
男はニヤニヤ笑っている。
その笑顔の奥に、落ちていく記録をルカは感じ取る。
奴が試しているのだ。
怪盗アーカイブが。
「上等」
ルカは微笑む。
恐怖感はない。
落ちるなら生身で落ちる。
そういう生き方があってもいいだろう。
私は、私だ。

ルカは、踏み込む。
そして、梯子橋をためらいなく駆け抜ける。
たんっ!たんっ!
たんたんたんっ!
男の顔が引きつった。
それが終わりだった。
「展開!」
ルカの展開刀が、男の過去の箱につきたてられる。

遅れてやってきた連中が、
散々ルカの無茶を責めたが、
ルカは聞かない振りを決め込むことにした。
「ルカさん、どうやってそこのビルから飛んだんですか?」
「…飛んだ?」
「ええ、何もないじゃないですか」
ヤンが示すそこには、梯子橋も何もなかった。
落ちた形跡もない。

ゆっくり落ちるのも、早く落ちるのも、結果は一緒だよ。
怪盗アーカイブは、落ちるそこで笑っているに違いない。


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