箱物語(仮)92


とらえようとして、流れていくのは、
それは音楽か。
それは、何か別のものか。

一人の人の声を多重録音した、
エコーするような曲を、ツヅキは好んだ。
この職場では、みんな曲の好みがばらばらで、
電子箱相手にしているときは、
他のメンバーに聞こえないように曲を聞くのが暗黙のマナーだ。
まぁ、他の会社というものでもそうなのかな。
ツヅキはよくわからないけれど、
まぁ、悪いことではないと思う。

一人の声がエコーするように、ふわふわと。
ツヅキはヘッドホンをつけて曲を聞きつつ作業する。
このヘッドホンは、カラット先輩がすすめてくれたもの。
確かに、音楽の世界が変わったような気がする。
すばらしい、頭に直接響くような感じがする。
などと、待機室でカラット先輩に言ったところ、
「お前、気に入ったもののためなら際限なくってタイプだろ?」
と、笑われた。
「音を求めると、際限なくなるからやめとけ」
「お金、ですか?」
「俺もよくわかんないけど、ほどほどにしとくがいいのさ」
「そうですか…」
ツヅキはよくわからないけれど、
給料がいいはずなのに、
奇妙に満ちて欠けているこの職場の正体がわかった気がした。

何もかもが記録だとして割り切っている節があるのだ。
何もかもが、記録。
すばらしい音楽も、
感動させる芸術も、
過去の箱に収納される記録に過ぎないと。
でも、それだけでもないことを彼らみんなよく知っている。
だから、この職場は奇妙に満ちている。

いつまでこの職場にあることが出来るだろう。
ツヅキはいちばん新人だというのに思う。
気がついたら、記録を全部外部化して、
内側に最小限の記録だけ抱えたツヅキになっているかもしれない。

ツヅキは思う。
それなら、最小限の記録の中に、
お気に入りの音楽の記録も入れて欲しいと。
一人の声がエコーするようにツヅキの中を響く。
その記録のためなら、
ツヅキは多少お金をかけてヘッドホンをよくする。

カラットが少しあきれるかもしれない。
人は記録のみで生きるにあらず。
ココアと音楽も、いいものだとツヅキは思う。


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