旅に出る時計
ネジは立ち尽くす。
おぼろげに思考が戻ってくる。
ニィはまるで涙になるのを待っていたみたいじゃないか。
死にたかった?
つらかった?
ネジに何がわかるだろう。
何もわからない。
これでよかったんだろうか。
ネジは何度も繰り返す。
「ありがとう」
ネジはその声でどうにか我にかえる。
「ありがとう、聖職者さん」
アーローが感謝を述べている。
ネジはその事実を受け止めるのに時間がかかった。
なんで?
何で感謝?
「あの子はこうして世界に帰れます。罪人としてでなく…」
アーローの頬に大粒の涙。
ニィが流れている。
ニィだった涙。
「聖職者ということで、期待していたんです。私もニィも」
「期待」
「罪人になる前に、苦しみを終わらせてほしかった」
「あの、世界のことを知ってしまった?」
「そうです。私もわからないことを、あの子は知ってしまった」
ネジはうつむく。
だからって許されるわけじゃない。
いろいろ考える。
考えるけれど、どんどん消えていく。
よくないことをしてしまった。
サイカがネジの頭をぽんぽんとたたいた。
ネジは顔を上げる。
「聖職者というのは、そういうものだ」
「やだよ…こんなの」
「大丈夫、俺は味方だ」
「サイカぁ…」
ネジは内側につらい感覚を、感じる。
サイカが頭をぽんぽんとしてくれるたびに、
歯車に巻き込まれて、細かくなっていく感じだ。
消えるわけではない。
歯車の中に取り込まれる感じだ。
細かく砕けて漂っていく。
ネジはふるふると頭を振った。
「もう、大丈夫」
サイカはそっと手を下ろす。
ネジはうなずく。
ラプターを腰に下げる。
そして、ニィのいたそこに、時計がひとつ落ちているのを拾う。
「埋葬できる場所はありますか?」
涙を流しているアーローが、ひどい顔のまま、うなずく。
「どうぞ」
先にたって歩き出す。
庭の隅っこに、ネジとサイカは導かれる。
ネジはそのスペースに手で穴を掘る。
手を汚すのは、聖職者の仕事だ。
手袋をはずし、土を掘る。
土はやわらかくはない。
でも、掘る。
ネジは無心に掘る。
やがて、小さくくぼみができた。
ネジはそこに、ニィだった時計を置くと、
静かに土をかぶせた。
「こうして時は歯車に帰るように。ギアーズ」
サイカが唱える。
聞き覚えのある文句。
「ギアーズ」
アーローも唱えた。
「ギアーズ」
ネジも唱えた。
そうすることで、ニィが歯車に帰れるような気がした。
ネジは土まみれの手のまま、しばらくかがんでいた。
ここにニィが埋まっているなんて、わからなくなってしまう。
アーローが泣いているのが聞こえる。
静かに泣き声が響く。
その庭の中、ネジはニィの墓の前でかがんでいた。
「ニィは旅に出た」
サイカがつぶやく。
「時は世界の中心の歯車に帰る。そしてまた生まれる」
「…どこに生まれるのかな」
「さぁな、生まれるまで歯車で旅をするし、生まれてからも生きて旅をする」
サイカが空を見上げた。
ネジも立ち上がって空を見る。
崖で見えにくくなっている、青い空だ。
「どこかでいつか生まれる。時がちゃんと帰されたからな」
「よかったのかな」
「聖職者にしかできない」
「うん…」
ネジはうなずく。
ネジ自身も少し救われた気がした。
「ニィ…」
アーローがつぶやく。
「本当に、ニィは行ってしまったんですね」
サイカがうなずく。
「登録されていない自由な命になった」
アーローが涙だらけの目を見開く。
「知りすぎた召喚師は、解放されたんだ」
アーローに新たな涙が加わる。
次から次へと流れる。
「ありがとう」
アーローは感謝を精一杯言葉に乗せる。
ネジはうなずく。
サイカもうなずいた。
「戻るか」
サイカは一言言うと、すたすたと歩き出した。
「それじゃ、これで」
ネジは一言挨拶する。
アーローは何か言いかけ、やめる。
涙だらけの顔で、微笑み、うなずいた。
ネジもうなずき返すと、この場を辞した。
言葉にしなくてもいいこともあるんだなと、ネジは感じた。