砂漠の雫
サイカがシャワーを浴びているのを見計らい、
ネジは町に繰り出す。
目的は酒場で酒を飲むこと。
でも、砂漠は冷えるとサイカも言っていたし、
酒を買って帰ろうかと思う。
酔いつぶれて倒れたりしたら、
それこそ、かっこ悪いし、みっともない。
ネジは外に出る。
明かりのついている店がいくつか。
青白い歯車があちこちに並んでいる。
街灯はないが、町はほのかに明るい。
まだ夜もそんなに更けたわけではないのかもしれない。
ネジは看板を見ながら、てくてく歩く。
治安は悪くないようだ。
出てから気がついたが、治安のことを失念していた。
どうなんだろう、その辺は。
ネジは酒場を見つける。
中を覗き込むと、にぎわっている。
「お酒を少し買って帰る」
ネジは一人でつぶやき、うなずく。
意を決して酒場に入ると、
喧騒が暖かく包み込む感じがした。
騒がしいのもいいなぁと感じる。
客が大勢いるが、みんな楽しく飲んでいて、
ネジに向かって酒のグラスを上げて、
まるで町の知り合いが来たかのような笑顔をする。
ネジは軽くうなずき返して、
カウンターへ向かう。
おやじさんというのがふさわしいような、
たくましい親父がカウンターの中にいる。
「どうも」
ネジが声をかける。
「おう、飲むかい?」
おやじさんが、太い声で答える。
「宿に持って帰るんで、小さな瓶の。ここらの地酒がいいかな」
「ああ…それならビーがいいか」
「ビー?」
ネジは聞き返す。
おやじさんはうなずく。
「ビーはこの辺の砂漠でできる酒だよ」
「おいしいんですか?」
「うまさは保障するよ」
おやじさんが、にかっと笑う。
「ビーは砂漠の雫なりぃ!」
誰かが大声で叫ぶ。
酔っているのを誰も止めないし、
「雫なりぃ」
と、誰かがまた続ける。
あちこちでグラスがなる。
「あれもビーだよ」
おやじさんが説明する。
「このノズナの町も、この砂漠一帯も、昔はひどかった」
「ひどかった?」
ネジが聞き返すと、おやじさんは重々しくうなずき、語りだした。
「不毛の地って言葉があるだろう、まさにそれだった」
「何もなかったんですか?」
「何もなかったらしい。そして、大戦が起きた」
「ここも戦禍に?」
「殺しあって、砂漠が血を吸って死体は乾いた。何もないほどからからに」
ネジは想像する。
腐ることもなかった兵士の死体が、
砂漠のどこかで乾いて朽ち果てていくのを。
「やがて、小さなオアシスが見つけられ、そこに人が住んだ」
「あるんですね。オアシス」
「一説によると、血が水になってオアシスを作ったとかな」
おやじさんは笑う。
「まぁ、歯車が来るまでは、オアシスの間をかろうじて人が行き来していた」
「ふむふむ」
「そんな時代にできたのが、ビーなんだ」
「そんな時代」
「少ない植物、少ない穀物、少ない水。それの精が当時のビーだったのさ」
「なるほど」
「だからビーは砂漠の雫で、死んでいったものの血なのさ」
おやじさんはごそごそとカウンターの中を探す。
そして、小さな赤い瓶を取り出す。
「砂漠の精、ビーだ。兵士たちの血に敬意を表して、瓶はいつでも赤いのさ」
「こんなに少ないんですか?」
瓶はネジの両の手に包めるほどだ。
「水で薄くして飲むんだ。まぁ、そんな飲み方ができるのも、歯車のおかげだ」
「喜びの歯車」
「そうだ。昔はそれこそ、ビーを大事に飲んでいたらしい」
ネジは赤い瓶を手に取る。
兵士たちの血。
それから、不毛の地で死んでいった彼らの祖先たち。
血はつながっている。
血の上に、地の上に、彼らは立っている。
それは強いものだとネジは思う。
ネジは代金を支払い、
騒がしい酒場を後にした。
「またこいよー!」
と、誰かが叫び、笑った。
一日を一生懸命に生き抜いたから、酒がうまい。
赤い瓶のビーはどんな味がするのだろう。
ネジは楽しみにしながら軽い足取りで歩いた。