盗む人
ネジは治安のよさげな、夜の街を歩く。
確かに横道に入れば危ないのかもしれない。
でも、とりあえず大通りなら、
なんというかなぁ、堂々と悪いことする人もいない。
ネジは楽観視して、軽い足取りで歩いた。
あたたかな明かりが、
漆喰と石の家から漏れ出している。
喜びの歯車が来て、
ビーを薄めて飲むのに水が使われるようになった。
それは、生活が激変することだ。
奪わなくてもよくなる。
無理をして命を落とさなくてもいいようになる。
砂漠の上で、むやみに血を流すこともなくなる。
激変した後の生活は、
ネジが見てきた限り、平和な町になっている。
中央が目指したのは、
中央がやりたかったのは、
こんな風に平和な町を増やすことなのかなと、ネジは思った。
ネジは明かりの漏れている大通りを歩く。
ビーが静かにゆれる。
血の上に生きているという誇り。
それが変わらないで脈々とつなげられているって、
それって悪くないことだとネジは思った。
大通りで、何人かの男とすれ違った。
腕章をしている。
「やぁ、こんばんは」
男の一人がネジに挨拶した。
「こんばんは。お出かけですか?」
「いや、見回りだよ」
男の一人が腕章を示す。
手書きの文字で、パトロールと書いてある。
「ご苦労様です」
「いやいや、今日が当番なだけだよ」
男は笑った。
「なんでもね、歯車の動力を盗むやつらがいるって噂でね」
「あの、喜びの歯車の?」
「そうなんだ、盗まれたら死活問題だろ?」
「そうですね」
「ここからずいぶん行った隣町でも被害があるらしくてね」
「それで見回りと」
「治安は悪くないんだけど、盗まれるとなったら別だろう」
「そうですね」
「まぁ、そんなわけで、怪しいやつを見かけたら言ってくれ」
「わかりました。見回りがんばってください」
男たちを見送ってから、ネジはまた歩き出す。
喜びの歯車を盗むってなんだろう?
みんなのところに、いきわたっているような印象があるけど。
どうなんだろう、その辺。
目的は何なんだろう。
歩いていたネジは、ふと、何かの気配を感じた。
気配の方向を思わず向く。
すっと影が横切る。
あの影を追わなくちゃ。
ネジは直感で思う。
影はすっと屋根まで上る。
おともなく、特別な動きもなしに。
生きているのだろうか。
あの影は生き物なのだろうか。
ネジが追いかけて屋根の下までやってくる。
屋根の上には、喜びの歯車。
影はそこにたたずみ、
青白い歯車を抱えた。
はずして、奪った。
ネジはそれを見ていて、こいつが泥棒に違いないと確信した。
「まてっ!」
ネジは大声を上げた。
影が一瞬立ち止まった。
「それは大切な歯車だ!盗んではいけない!」
ネジは大声を続ける。
影は歯車を屋根に戻すと、
屋根から何のモーションもなく飛び降りた。
そして、音もなく地をけって、
一瞬にしてネジの前にやってくる。
影はマントを羽織った人。
「盗むところを見られたのは、初めてよ」
艶のある女の声だ。
青いマントが暗がりで黒に見える。
フードをはずすと、そこには眼帯をした女の顔だ。
「偶然とはいえ、今回はあなたの勝ち」
ネジはあっけに取られる。
影の女は笑った。
「でも、何回も邪魔するようなら考えるから」
「ここの人にとって大事な歯車なんです」
「そうね、でも、あたしも奪いたいの」
「それはだめです」
ネジがまじめに断ると、
影の女はクックッと笑った。
「まぁ、事情があるのよ。いろいろとね」
「きっと中央に話せば、歯車を作ってくれますよ」
「そう、話せればね」
影の女が複雑な笑みを浮かべる。
ネジはわからない。
何でこの人は、悲しそうな微笑まで塗りこんだ笑みをするのだろう。
遠くから声がする。
きっと見回りの人たちだ。
「あたしは、今はトリカゴっていうの。今はね。覚えていて」
「俺は、ネジ」
「じゃあね、ネジ」
トリカゴはふわりと助走もなく、闇に消えていった。