ぜんまいの逆回し


サイカは新聞を手にする。
さっきもらってきた新しい新聞だ。
ネジは荷物の中から地図を取り出す。
今までの道をペンでなぞる。
グラスシャンの転送院があって、
そこからページをめくって、グラスシオン。
そして、ドットの町。
ネジは地図のページをぺらぺらめくる。
ちょっと遠くに来たような気がする。
次はどこに行くんだろう。
どこに行くにしろ、中央にはいずれ行かなくちゃならないと思う。
ネジの記憶は少なくて曖昧だ。
何かの拍子に、無意識のときの記憶がやってくるような気がする。
曖昧な記憶が言っている。
壁の向こう。
壁を壊すか越えるかしなくちゃ。
ネジはラプターに触れる。
岩盤を涙にできたのだから、
壁も壊せるか?
岩盤を涙にしたときは、
サイカに、どうなっても知らないと言われた。
けど、ネジには何か確信みたいなものがあった。
あの時、ネジは感じていた。
ネジを流れる痛みのような感情。
そして、無生物は痛みに耐えられずに涙になってしまうと。
ネジとラプターならそれができると。
ネジは感じていた。
ならば、あの壁も壊せるだろうか。

でも、と、ネジは思う。
あの壁ができたのは、
夢ごとにネジが、あそこに行っていた所為。
ネジが行っては、
多分秩序が守られないのだ。
秩序のための壁。
喜びの大歯車が、ゆがんで回っていて、
彼女っていうのがいる。
秩序、平和、守らなくちゃいけないもの。
そのくらい記憶の少ないネジでもわかる。
みんな笑顔のほうがいいじゃないか。
記憶のどこかで、それでいいのかと聞こえる。
ネジはわからなくなった。
サイカも、トビラも、トリカゴも、ハリーも、
みんな理想があるのだろうか。
でも、サイカの理想ってわからない。
旅をしていけば、わかるだろうか。
不意に、ネジは妙なことを考える。
「サイカぁ」
「どうした」
「トビラって何歳?」
「さぁな、大戦前から生きているのは確かだ」
「え?」
サイカは手にしていた新聞の、写真を示す。
そこにはグラスシャンに訪れる、トビラの姿。
若い男だと思う。
白い装束を着ている。
「大戦の頃の人は、みんな年取ってるよね」
「そうだな」
「じゃあ何でトビラは…」
「トビラは時計をいじって生きている」
サイカが解説してくれる。
「寿命であるぜんまいを、逆に回転させる術を持っている」
「それってすごい?」
「すごい技術ではある。しかし」
「しかし?」
「成功例は今のところ、トビラのほかに数人しかいない」
「そうなんだ」
「トビラほどの生体管理師でも、命に関してはそこまでだ」
「トビラは生体管理師?」
また新しい事実。
「生体管理師だ、それがどうかしたか?」
「うん、歯車システムのトップだから、もっと違うかと思った」
「技術師とか、そういうものか?」
「うん、なんかそんなの」
ネジはうまく言えない。
そこをサイカは拾っていく。
「歯車のシステムは、人によく似たシステムだ」
「うん、宿している時計と一緒だって」
「それを管理するのは、生体管理師のトップが一番だというわけだ」
「ふーむ」
ネジはうなる。
一体トビラとはどういうものなのだろう。
とても完璧な人をネジは想像する。
黒髪で、背が高くて、生体管理師の衣装を着ている、
あの時ニアミスした男。
新聞の写真のトビラは、若い。
この若いトビラは、とても長い年月生きているとサイカは言う。
「さびしくないのかな」
ネジはポツリとつぶやく。
「誰かがともに生きていると思えば、その感情は出ない」
「誰かが?」
「世界の一部になっていると思えば、さびしいとは思わないだろう」
「けどさ」
ネジは少し思うところがある。
「けどさ、知っている人が誰もいなくなったら、さびしいよ」
「そうか」
「俺はそんなに生きていたくない」
「お前はそうかもしれない。けれど、トビラは世界のシステムになることを望んだ」
トビラはどれほどの別れを経験したのだろう。
計り知れないとネジは思った。


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