青い空


「さぁ、入って」
キュウはいつものようにネジを招き、
「お邪魔します」
と、ネジはそれに従う。
ドールハウスの中も、ずいぶん整っている気がする。
これもトビラがやったのかなとネジは思う。
「お茶も新作ができたの」
「新作、ですか」
「紺碧の空って言うの」
「どんな感じですか?」
「見たこともないような、空がイメージできるくらいすごいの」
ネジはちょっと引っかかった。
「見たこともない空?」
キュウは立ち止まった。
ネジは続ける。
「空を見たことがないんですか?」
キュウは恥ずかしそうに、うなずいた。
「空って、すごいみたいなの。でも、見たことがないの」
ネジはどう話を続けるべきか悩んだ。
キュウはそのネジを見て、微笑んだ。
「やさしいのね」
「あの、その」
「空を見たことなくても、あたしは生きてる」
「生きて、います」
ネジは断言した。
断言しないと、キュウがはかなく消えてしまうような気がした。
どうしてそんな感じがするのかは、わからない。
「ネジ」
「はい」
「あたしの手を握って」
ネジは恐る恐る、キュウの右手を握る。
あたたかい、血の通ったような手。
「生きてるの」
「はい」
「トビラがここに命をくれたの」
「ここ?」
「この空間に、この場所に」
ネジにとって曖昧なこの場所に、
キュウは生きているという。
明るくてうっそうとした、矛盾する森とか、
綺麗なドールハウスと、
たまに増える新作のお茶。
限られたこの世界で、それでもキュウは生きているという。
「さ、手を離して。お茶を入れるわ」
ネジは名残惜しくなりながら、手を離した。
「青い空と青い海をイメージしたお茶なんですって」
ネジは席につきながら、
いくつか前のグラスを思い出す。
そこにトビラもいったという、
空と海が綺麗なグラス。
何で思い出せるんだろう。
古い思い出は置いてきたはずなのに。

やがて、キュウがお茶を持ってテーブルにやってくる。
少し青みがかったそのお茶から、
えもいわれぬさわやかな香りがする。
ネジの少ない記憶では、
何のにおいかはわからない。
「さぁ、召し上がれ」
「いただきます」
ネジは一口お茶をすする。
日差しと翼機を思い出す。
連鎖してどんどん、ネジの旅の記憶を思い出す。
暗いところもあった、草原もあった。
砂漠はしんどかった。
古い思い出は置いてきたはずなのに、
何でこんなに思い出せるのだろう。
「あなたの空は見つけた?」
キュウが問う。
「わかりません」
ネジは答える。
「いつかあなたの空を見ることがあると思うの」
キュウは微笑んだ。
「その空の下、旅をしたいな」
キュウはつぶやく。
ネジはそんな言葉をどこかで聞いたことがある気がする。
「旅をしましょう」
ネジはそんなことを気がついたら言っていた。
ネジ自身も驚いたが、
キュウも目を見開いた。
「そんなこと、そんな、こと」
「すみません、軽率でした」
「そんなことできないよ…」
キュウはうつむいてしまう。
ネジとしても、それは残念なことのように思われた。

「せめて、空を見に行きましょう」
うつむくキュウに、ネジは言う。
キュウは頭を振る。
ネジは続ける。
「この空間じゃないところの、空を見に行きましょう」
「だめなの」
キュウは強く頭を振る。
否定をこめて。
「あたしを探しちゃだめなの。あたしはこの空間にいるからあたしなの」
「それは、トビラがここを作ったから?」
「あたしはここにいるの。空を見たことがないの」
「見に行きましょう」
ネジは言い切る。
「青い空はいいものです。いつか見に行きましょう」
ネジはお茶を飲み干す。
ネジの少ない記憶が鮮やかな青に染まる。
そして、それはネジの内側の喜びとなる。

ああ、本来の喜びの色は、青い空なのかなと、ネジはそんなことを思った。


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