笑顔のあるところ
ネジとサイカは、通りを歩く。
夕方から夜にかけての時間らしい。
夕焼けがないので、よくわからない。
雨がしとしと降っている。
足元がパシャパシャと鳴る。
歯車構造の自動車が、通り過ぎていく。
エンジン音が少ないので、うるさくない。
それでも結構なスピードが出るらしい。
雨を跳ね飛ばして、自動車は去っていく。
青白い喜びの歯車も、
例外なく雨に濡れている。
少ない音が、きしきしとなっている。
サイカはどんどん進んでいく。
ネジはサイカの傘を追う。
見失っちゃいけない。
ネジは迷子になりたくない。
途方にくれるなんて経験は、
きっとこれからないほうがいい。
「ここでいいか」
サイカが足を止める。
ネジも続いて足を止め、
建物を見る。
小さなお店がある。
明かりが少し漏れている。
あたたかい、光鉱石のような明かりだとネジは思った。
笑い声が聞こえる。
「どこでもかまわないけどさ、どうしてここ?」
ネジはたずねる。
「笑い声が聞こえた」
サイカはそれだけ答えて、さっさと店に入っていった。
ネジも傘を閉じて続いた。
店の中は、小さな食堂だった。
ボックス席で商談らしいものがあるのは、
やはりこの階級ならではなのかもしれない。
ネジにはわからない料理の、いいにおいもするし、
酒の匂いもする。
笑いあう声がする。
「よう、景気はどうだい」
酔った大声がネジとサイカに声をかける。
「悪くない」
サイカは答え、空いた席に滑り込む。
「悪くないか、そりゃいいな」
酔った大声は笑った。
ネジもサイカに倣って隣の席につく。
近くの席で、商談がまとまったらしい、
握手をして、酒を頼んでいる。
サイカが適当に注文をしている。
サイカのことだ、勝手はわかっているのだろう。
「いいな」
ネジはつぶやいた。
「どうした」
「なんか、こういう雰囲気に帰ってくるんだなと。それっていいなと思った」
「そうか」
「騒がしいのとか、笑うのとか、おいしいのとか」
ネジはそこで言葉を区切る。
「なんか、そういうのいいなと思った」
「そうか」
サイカはそれきり黙った。
ネジは食堂の雰囲気を感じる。
おいしい料理の気配。
サイカはたまたま、こういうところを引き当てたのか、
それとも、サイカもこういうところに帰ってくるのだろうか。
それも悪くないなと思う。
ネジはどこに帰るのだろう。
行き着く果てはぜんぜん見えないけれど。
旅路にこういう食堂があるのなら。
ささやかな喜びがあるのなら。
果てが見えなくても、歩いていけるような気がする。
一日をこの階級で暮らしていく人たちがいる。
そういう人たちの喜びを感じられるって言うのは、
きっとネジにとっても喜びなのかもしれない。
たとえ、人間ごっこといわれても。
音楽だけで満たされたとしても。
人であることが、やっぱり好きなのかもしれない。
注文の料理が届く。
肉がじゅうじゅういっている。
そのほかに大盛りのサラダ。
ポテトや豆がベースのサラダらしい。
それと、焼き立てパン。
「すごいね」
「熱いうちに食べろ」
「うん」
ネジは肉を切って、慎重に口に運ぶ。
さすがに熱い。
かみしめる余裕はない。
はふはふいって飲み込む。
それでも文句なくおいしい。
サイカの選ぶお店に間違いはないなと、ネジは思う。
サラダを食べて、パンをほおばる。
サラダは豆の食感がいい。
不意に。
ネジとサイカの前に、酒が二つ置かれる。
「注文していないよ」
ネジはパンをかじりながら抗議する。
「あちらの方からです」
サイカが視線を向ける。
ネジもそちらを向く。
食堂の一番奥の席。
ちょうど影になっているようなところに、
一人の男がいた。
あたたかい食堂に影を落とすような男。
ネジは感じる。
何か異質なものの予感。
何でだかはわからない。
でも、ネジはそう感じた。