帽子屋


暗がりの中、
人影がたくさん。
動くもの動かないもの。
上流階級の住人は、動かない。
フィルムに包まれ、薬に浸され、
夢だけを見ている。

「私は」
トリカゴが話し出す。
「世界の仕組みを、元に戻すべきだと思うのです」
「もとに?」
ネジがたずねる。
「パーツを、あるべきところにそろえるべきだと思うのです」
トリカゴの言葉に、ハリーがうなずく。
「そうだね、そろうことはそろうと思うよ」
「ですけれど、仕組みがちゃんと動くかどうかは、未知数です」
「そうだねぇ、時間だけならずいぶん経ったしね」
ハリーが言う。
大戦のころから時間が経ったということだろうかとネジは思う。
「それでも、今の世界は壊れかかっている状態です」
「そうなんですか?」
ネジはたずねる。
「不安定な世界なのです。いつ壊れてもおかしくありません」
「トリカゴさんはわかるんですか?」
「力学上、ありえない方向に向かっていることくらいは」
「そうですか…」
ネジはなんとなくわかる。
喜びだけの不安定な世界。
本当に喜びだけを求めて、
上流階級の人たちはいってしまったのだ。

「起こしに行こう」
ネジは言う。
ほとんど無意識だが、
確実にネジの意思として。
「起こしに行こう、彼女を」
暗がりでリュウがにやりと笑ったのが見えた。
ハリーはくすくす笑う。
「変わりませんね」
トリカゴがそっと言う。
「記憶をなくしても、彼女と呼ぶのはあなたくらいです」
「彼女は彼女だよ」
トリカゴも微笑む。
「覚えていますか、あなたとボルテックスの肩書き」
「思い出せないね」
ネジは答える。
そこの記憶は抜けている。
「三月ウサギと帽子屋」
「え?」
「ボルテックスは、シロウサギのトビラと並ぶ、ウサギクラスです」
「…サイカが?」
「ええ。そしてネジ、あなたは帽子屋」
「ぼうしや」
「アリスの証人。アリスを定義するもの」
トリカゴは告げる。
ネジの役目を。
「アリスの証人」
ネジは反芻する。
「帽子屋は、アリスを証明しないといけない」
トリカゴはネジをそう定義する。

「三月ウサギと帽子屋って言うのは…」
ネジはつぶやく。
「俺達のことだったんだ」
「そう、あなた達のことだった」
「何でサイカは黙っていたの?」
サイカがため息をついたのがわかった。
「世界を見た上で、教えるつもりだった」
「世界を」
「アリスのシステムがどんな世界を作ったか、教えるつもりだった」
「そっか…」
ネジはうつむく。
下には管がいくつかあるばかりだ。

アリスの証明。
アリスは何なのか。
アリスを定義する。
それで世界は変わってしまうという。

多分サイカはヒントをたくさん出してくれていた。
こんな世界なんだと、たくさん。
遠くも近くもない、サイカの視点で。
ハリーもトリカゴもリュウもわかっていた。
「ねじ?」
今まで黙っていた、トリカゴのつれた子どもが話しかけてくる。
「うん、俺はネジだよ」
ネジは答える。
「なんだかいっぱいだね」
子どもの言いたい事はちょっとわかる。
「うん、いっぱいみたいだ。つぶされないようにがんばるよ」
トリカゴが輝く感情を見出した子ども。
なぜトリカゴは連れてきたのだろう。
大事なのだろうか。

「それで、これからどうするんだ?」
リュウがわかりきっていることを聞く。
「トビラに会いましょう」
ネジはそういう。
異論はない。

誰ともなく闇の中を歩き出す。
そして、ドアをくぐって大通りに出る。
出てすぐは、明るいとネジは感じたが、
音のない大通りが不気味と感じた。
雨すら降らない、管理された区域。

夢の中には雨は降るのだろうか。
ネジは少し問いたい気持ちになった。
トビラが降らせてくれるのだろうか。

恵みの雨とやらを。


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