九龍的日常:5月15日


邪気の椅子があるという。
海に向かってぽつりとある椅子。
悪さをするといわれているが、
リュイはその悪さがわからない。

(座ってみようかな)
リュイはそんなことを思って、その椅子に近づく。
好奇心と、椅子がさびしそうだったから。
でも、飛んできたおもちゃでリュイは歩みを止める羽目になる。
「やめといたほうがいいよ」
かけてきた声は少年。
何かうわさで聞いた、おもちゃマスターのトラという少年に違いない。
「なんだか」
「なに、リュイさん」
「椅子がさびしそうだったから」
こんなことを言って通じるものかとは思ったけれど、
意外にもトラ少年はわかってくれたようで、
「この椅子のやり口なんだよ、それ」
と言った。
椅子のやり口?

「月明かりの中、ほのかに光る椅子が、海に向かってたたずむ」
トラ少年は何かを朗読するように。
リュイは言葉がしみるのを感じる。
甘い飴玉とも違う、何かの言葉。
つらいとも違う、何か。
「椅子は悪さをする、けれど、それは人の感覚に似た何かがあるんだ」
「なにか?」
「よくはわからない」
リュイは少しわかる気がした。
昔々、封をした中に入っている記憶。
そこに、何か似たものがある気がした。
記憶のふたは開けてはいけない。
つらすぎるから。

「きっと」
リュイはつぶやく。
「そばにいて覚えていてほしいのよ」
トラはリュイをじっと見る。
リュイは椅子を見ている。
「リュイさんがそんなこと言うとは思ってなかった」
「どうして?」
と、リュイは振り向く。
「楽しいことだけの人と思ってたから。ビビアンとはちょっと違った」

リュイは苦笑いをした。
苦く笑えるのも、久しぶりかもしれない。
「ビビアンはどうしてる?」
「イベントのことで張り切ってるよ」

二人は話しながら、その場を後にする。
あとには椅子が残った。


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