綱渡りの空間


綱一本だけの空間。
僕はそこを渡っている。
怖いものは何もない。
ただ、一本の綱の上、風が吹いている。
起点はどこだっただろう。
終点はどこだろう。
どちらも見えない綱の上。
引き返すなんて出来ない。
ただただ歩き続けるだけ。

僕は空気の上にいる。
なにものにも縛られていない、僕の足と綱だけが頼りの、
そう、この綱渡りは自由だ。
もしかしたら不自由に見えるかもしれない。
どこにもいけないじゃないかと。
でも、と、僕は思う。
前に歩くことができる。
僕はそれを望んでいて、僕はそれに向かって歩くことが出来る。
僕の意志がそれを望んでいるなら、この空間は自由だ。

僕は目を閉じて足を踏み出す。
綱の感触を頼りに歩く。
まぶたの裏で、空中ブランコがゆれている。
あの子が飛んでいる。
名前も知らないサーカスの女の子。
あの子が空中ブランコから飛び立つ。
僕はまぶたの風景に僕を溶け込ませる。
僕はサーカスのピエロ。
自由な芸をしでかすピエロ。
綱渡りだってするよ。
あの子が綱と一緒に空中ブランコで飛んでいる。
芸をする動物が楽しげにはしゃいでいる。
僕の下でサーカスが自由を謳歌している。
観客を楽しませる以上に自分達が楽しむ、
自由なサーカス。
あの子が飛んでいる。
空中ブランコがゆれている。
ピエロは綱を渡る。

あの子は飛べる。
僕はピエロだから、綱を渡る。
あの子はどこまでも飛べる。
ああ、あの子も今このとき自由なんだ。
僕が前を目指すのと同じくらい、
あの子はあの子の意志で飛んでいる。
空中ブランコ乗りのあの子は、
微笑んでいる。
ねぇ、その自由は心地いいものですか。
僕の自由と、どんな風に同じで違うのかな。
君に触れて聞きたいと思う。
だけど、綱を落ちることは出来ない。
君はここまで飛んではこれない。
同じ空の下なのに、同じ空間なのに、僕らはなんて遠いんだろう。

僕は目を開く。
空中ブランコは、思い出を残して消えた。
僕はまた、綱の上を歩く。
心に自由な道化を。
軽やかに綱をわたる、自由な道化を。


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