眼球愛


眼球が愛を語っている。
愛は眼球の行為だと。
五感が開かれている中で、
眼球だけは自由に愛を語っている。
愛おしいものをうつし、まぶたの奥に閉じ込める。
愛は眼球の行為。
目にうつすことは、すべてが自由。
愛することも、自由。

眼球は乾きを知らない泉のごとく愛を表現する。
まなざしは熱を伴って相手に突き刺さる。
交差する視線は会話する。
どんなものを見てきたのか。
何をまぶたの裏に隠しているのか。
あなたは私をどんな風に見ているのか。
あなたの視界はどんな風に広がっているのか。
視線の会話。
それは言葉よりも饒舌に。
何もかもが伝わっているのに、
それを伝えて処理する器官の乏しさ。
眼球はすべて知っている、その上での自由を知っている。
何を表現してもいい。
視線からすべては伝わってしまうものだから。

眼球愛。
それは自由な愛。
まなざしひとつで分かり合える、
刹那から生まれる愛。
眼球に焼き付けばそれは永遠の愛であり、
愛を語る自由は、すべて眼球の中にある。

視界はいつも姿を変える。
同じものなどないのだと言いたげに。
でも、眼球は知っている。
それは時間に束縛されて、姿を変えざるを得ないものであると。
何でもうつしだせる眼球は知っている。
永遠もあるということを。
永遠に焼き付けるに値するものもあるということを。
眼球ならばそれがわかるのに、
身体がなかなか追いついてくれない。
眼球の愛に、身体がついていかない。
伝わってくれないのが、眼球はもどかしい。

眼球はすべてを伝えている。
内側からも、外側からも。
眼球の言葉を感じ取るもとらないも、
眼球の持ち主の自由だ。
そして、眼球は身体以上に自由に、
愛を語っている。
視界にうつるすべてを眼球はわかっている。
身体の愛は儚い。
けれど、一瞬の愛は永遠以上に鮮烈に。
そして何より自由だ。
誰とでも愛をかわすことが出来る。

眼球の自由。
それは、愛する自由。
すべてを縛ろうとする時間をたやすく越えられる、
眼球の愛。


次へ

前へ

インデックスへ戻る