解放のにおい


僕らを解放するにおいがする。
かすかな、でも、確かに感じるにおい。
僕らはやがて解放されて自由になる。

解放のにおいは説明が付けづらい。
わからない人に説明しろって言っても、
ただ、そのにおいがするんだとしか言えない。
ただ、束縛されていると、遠くに感じるにおいがする。
それは、自由に近づくにつれ、
どんどん確かなものになっていく。
ああ、自由が近いんだなと感じる、におい。
音でもなく、視覚でもなく、におい。
解放の、自由のにおいがする。
そして、自由になったとたん、
嗅覚の限界を超えてしまうのか、
においはなくなってしまう。
なくなってしまうというのは、おかしいかもしれないけれど、
とにかく、におわなくなってしまう。
何度もそれを経験して、
自由のにおいを鼻が知っている。
だから、僕らはもうすぐ解放されることも、
鼻が何より知っている。

僕らのことは、とりあえず束縛されていて、
束縛を束縛と感じる程度のものだと思ってくれていい。
犬とかと思われるのはあんまりだと思うけれど、
もしかしたらそれ以下かもしれない。
犬になりきれないのが、悲しいものだと思ってくれてかまわない。
僕らのことをどう感じようが自由だ。
君たちは自由だ。

僕らは解放が近づいていることをにおいで感じる。
自由!自由!
僕らの中で自由を求める声が高まるのがわかる。
わかる。縛られていては不自由で、
自由を求める気持ちが高まるのもわかる。
でも、ここから解放されて自由になるということは、
すべて自分でしなければならないということ。
すべてにおいて責任がついて回るということ。
そして、自由と自分の力というのは違っているということ。
力にはいつだって限界があるということ。

限界を見たものから脱落していくのかもしれない。
そして、限界に縛られたものは、
また、自由や解放のにおいを嗅覚に感じるのかもしれない。

あれが僕らを解放するにおいだと。
僕らはやがて解放されて自由になる、と。


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