したきり


「嘘をついたらその二枚舌、ずたずたにしてやるから」
あの時、彼女はそんなことを言った。
彼女というが今となっては三人称の意味で、
少しだけ恋人になったが、
いろいろな価値観の違いから、別れるにいたった。
まぁ、普通の男女関係だ。
なぜいまさら彼女の言葉を思い出したか、
それは、舌切り女の噂があったからだ。

昔々。閻魔様の前で嘘をつくと舌を抜かれるとか、
あとは舌切りすずめだったかな。
とにかく舌を切られるというのは、
何らかの罰であり、重い罰のひとつだ。
舌切り女は、舌を切る。
それはもう、ずたずたに切り裂くという。
そんな事件があったら、
メディアが黙ってはいないはず。
騒がないってことは、噂に過ぎないんだろう。

尾ひれ背びれのついた噂が流れていく。
舌切り女は死んでるからもう死なないとか、
舌切り女は地獄からの使いだとか、
舌切り女は大きなペンチを持っているとか、
舌切り女はとてつもなく美人だけど、目をのぞくと洗脳されるとか。
その他もろもろ。
そして、どの舌切り女の噂にも共通しているのが、
「嘘をつくと舌切り女に舌を切られるよ」
というもの。

ばかばかしいと思うけれど、
どうしても彼女のことがちらついて離れない。
そもそも、別れてからしばらくして、
彼女の葬儀があったのだから。
彼女はいるはずがない。
蘇ったなんてばかばかしいことがあるはずない。

「何を考えているの?」
声に一瞬びっくりしたが、
そうだ、現状を把握しよう。
ここは夜景がきれいな部屋、
声の主は現在の恋人。
恋人は資産家の娘で、
結婚を前提にお付き合いだ。

嘘は正義であるという主張を、
あの彼女は最後まで理解しなかった。
だから別れたのだけど、
今の恋人は、嘘に酔ってくれている。
いくつも生み出される嘘を、一つ一つ喜んでくれている。
真実はいつも残酷だから、
真実は一種の悪だとすら思うから。

恋人を抱きしめる。
生きた女性のにおいがする。
ふと、恋人越しに夜景を見る。
そこには、
「おまえは…」
窓の外、宙に浮いた彼女のペンチが光る。

地獄の使いか、嘘への断罪か。
その目が悲しそうなのはなぜだろう。


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