バーチャル


僕はどれだけ春を知っているだろう。
数えようとしてやめた。
結局、春の何も知らないのだ。

この空間の春は、
匂いのない春だ。
仮想空間。
視覚と聴覚が主なのかな。
味覚に訴えかける春はないし、
触覚にも嗅覚にも、訴えかけるものはない、はず。
けれど、この空間に春は存在していて、
一面の春に、僕は圧倒されて、
しばしチャットを忘れるほどだった。

おいしそうなお弁当を、
お腹に落とすことも出来ない空間だけど、
誰かがこの春を作っていて、
誰かがお弁当のオブジェクトを作っていて、
僕は、仮想空間で春の遠足をする。
チャットで他愛もない会話をして、
作り物の蝶々がスクリプトで動いている。

春がここにないと誰が決めた。
季節感は薄いさ、仮想空間だもの。
でも、仮想空間の中だからこそ、
その中で人が可能な限り、
人であることを忘れることがない、ということ、
それが、大事なんじゃないかな。

人が作った春だけど。
そもそも春を作っている要素は一体なんだろう。
春の季語を検索して、ほとんど知らないことに愕然とする。
僕はほとんど春を知らないんだ。
じゃあ、春ってなんだろう。
僕が知らない、その春は一体なんなんだろう。
知ってる春はなんなんだろう。

今まで何を見て僕は現実を生きてきたんだろう。
仮想空間はこんなにも春なのに、
僕は多分、現実の季節を肌で感じることをしなかったんじゃないかと、
そんなことすら考える。
春の魚を食べただろうか。
春の野菜を食べただろうか。
知っている春は、一体どれほどのものだったのだろう。
仮想空間の僕のアバターは、
春の遠足を楽しんでいる。
春を、感じている。

時間がきたので、僕は仮想世界をログアウトする。
パソコンの画面の前でため息をひとつ。
僕から春がなくなる。
蛍光灯が煌々と。
何の気なしにカーテンを少し開けて外を見れば、
朧月夜と、近くの学校に白くすら見える満開の桜。

ああ、ここにも春はあったんだ。


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