愛していたのかも
妄想屋の夜羽は、テープを示す。
「愛はいくらで買えるのでしょう?」
年代もののテープレコーダーに、カセットテープをセットして、
再生ボタンをガチャンと押す。
「愛しているとは、何を指すのでしょう?」
テープは回る。
音声がちょっとのノイズを混ぜて再生される。
「愛していたのかも」
声は女性だ。
「何を、でしょう?」
いつものように夜羽が訊ねる。
「彼から生まれる混沌を…そんなかっこよくないわね」
女性は、少し笑う。
自嘲気味な笑いに聞こえないこともない。
「独り言の妄想に付き合ってほしいの」
「ここはそういうところです。どうぞ」
夜羽は促す。
彼は呼吸をするように愛することが出来て、
彼は呼吸をするたびに混沌を生み出していた。
彼は秩序だった世界を求めているのに、
彼はその反対の行為しか出来なかった。
私は、その彼を愛した。
私が剥がれるくらいに愛した。
彼の生み出す混沌は、容赦なく私を剥いでいった。
痛みと快楽は、手に手をとってダンスをぐるぐる。
私は彼と踊った。
足が砕けるまで踊った。
砕けた脚は私から剥がれていって、
過去形の塊に成り果てた。
私は歩くことを忘れた。
彼の呼吸で、彼の生み出す混沌で、
私の可能性は剥がれていって、
鱗が肉を伴って落ちるように、
私は剥がれ落ちていく。
私は彼を愛した。
愛して、ダンスして、砕けても笑った。
彼は私をかわいそうだと言った。
彼は苦悩した。
私はそんな彼を見たいんじゃなかった。
愛しているのに、と、彼は言った。
私は答える手段はほとんど剥がれていたから、
彼の混沌の中で踊ることで答えたの。
私の何もかもが剥がれ落ちても。
原始的な痛覚さえなくなっても。
私が生き物以下の砕けた塊に成り果てても。
それでも私は、彼を愛した。
でもね。
彼は、後生大事に私の剥がれた鱗を持っていて、
神様というものに祈ったらしいの。
「それからはわからないの」
「わからない、とは?」
「彼がどうなったか、私はどうしてこうなったか」
女性はため息。
「愛するって、どうするのか、よくわからなくなっちゃったのよ」
「それでも、お似合いです、その鱗は」
「ありがとう」
テープは沈黙して、やがて停止した。