音編みの女性


戦闘区域から離れていく。
銃声も聞こえない。爆発音も聞こえない。
ネネは朝凪町の住宅街近くにやってきた。
店もないわけではないが、
比率として住宅が多い。

線はずっと続いている。
道の上に、線。
空を飛ぶわけではない。
地にもぐるわけでもない。
ただ線はネネの前にあり、
ネネはそれを辿っている。

「遠回りしちゃったかな」
ネネはつぶやく。
『何かに誘われたのかもしれませんね』
ドライブが答える。
「どこまで続くんだろうね」
『どこまでもです』
ドライブは鈴を鳴らした。
ちりりんと音がする。

ネネは町角に立った。
どこかから音がする。
ドライブの鈴の音とも違う。
ネネは耳をすます。
なんだか懐かしい音がする。
線の先のようだ。

ネネは歩き出す。
『何か聞こえましたか?』
ドライブがたずねる。
「うん、なんとなく懐かしい感じ」
『あんまり脱線しないでくださいね』
「わかってるよ」
軽くやり取りをして、ネネは音を探した。
線を見失わないように。

歩いて程なくして、
ネネは音のもとを見つけた。
それはアコーディオン。
髪の長い女性が、アコーディオンを弾いている。
アコーディオンの音は、
なんだか知らないけれど懐かしくて、
奏でられているその曲は、
なんだか知らないけれど、知っている気がした。

ネネは女性の前に立った。
女性はネネを気にとめず演奏をしている。
朝焼けの静かな町の中、
アコーディオンの音色が響く。
女性は能面のように表情を変えず、
どこか悲しげな曲を奏で続ける。

やがて、ふっつり曲が止まる。
ネネは拍手をした。
演奏者への礼儀だ。
「ありがとう」
能面のような女性が、礼を言う。
うれしそうにあまり見えないが、
ネネはなんだか悲しそうに見えた。
「あのさ」
ネネは問いかける。
「なに?」
女性はやっぱり無表情にたずね返す。
「何で演奏しているの?」
ネネの素朴な疑問だ。
女性は答える。
「忘れないためです」
「忘れないため」
ネネは復唱する。
女性はぽつぽつと話し出した。
「私は音編み(おとあみ)といいます」
「音編み」
「私のところの届いた音を、忘れないように奏で続けるのが仕事です」
「よくわかんないな」
「全ての人には音があり、その音を編むことで人の社会が組曲となるのです」
「みんな音を持っているんだね」
ネネがそういうと、女性はうなずいた。
「みんなを忘れないために、せめて音だけでも残るように」
音編みの女性は、アコーディオンで和音を鳴らす。
「それが生きていた、存在した、証になることと信じています」
和音は音色を強弱してうねる。
音編みの女性は演奏を始める。
アコーディオンが激しくなる。
女性の両の指が、すごい勢いでうなる。
ネネは直感的に思った。
これは戦いの曲だ。
たくさんの音の主たちが戦っているんだ。
ネネは戦っている人を、一人知っている。
戦闘区域で戦う人。
この曲は戦闘区域の曲だろうか。
そしてこの曲の音のひとつが、あの男かもしれない。
ネネは耳をすます。
アコーディオンが銃弾の音を放ったように聞こえた。
音だけだ。銃弾が出るはずもない。
それでも、ネネは思う。
ちょっとだけ知り合いだった、あの男がここにも息づいている。
和音がなる。
ネネは、リディアが不敵に笑った気がした。
この和音はリディアの音だ。

「あのさ」
ネネは曲の途中で問いかける。
アコーディオンが止まる。
「音に名前はある?」
ネネはたずねてから、変なことを言ったなと思った。
頭をかいて照れ隠しをする。
「名前はあるはずです。でも、名無しの音のほうが膨大に多いのです」
「そうなんだ」
「何か気になる音がありましたか?」
音編みの女性が問いかける。
「よくわからない。けど、そう感じたんだ」
ネネは思う。生きてて欲しい人。
「音は生きつづけます。私が奏でる限り」
音編みの女性の言葉に、ネネはうなずく。
「それじゃ」
ネネはその場を去る。
アコーディオンの音が、何もなかったように流れ出していた。


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