椿姫の絶唱


アキは劇場に向かう。
少し考え、とりあえず客席から入ることにした。
よくわからないけれど、中にいる誰かは椿姫らしいし、
ならば、お客として見るべきのような気がした。
たいした理由なんてない。
ただ、関係者という気にならなかった、それだけだ。

扉が開かないと聞いていたので、
劇場の扉にアキは手をかけると力いっぱい動かそうとする。
思ったよりも、すっと、扉は開く。
花の香りがする。
これは椿だ。

劇場への入り口が開いたことで、
花の香りはとめどなく。
アキは耐性があるが、と、ソウシの方を向くが、
ソウシを始め、ミトもハチも涼しげな顔をしている。
ハチはくしゃみをしたけれども。
アキは少しため息をついて、
改めて歩き出す。

花の香りの正体は、ほどなくわかる。
劇場を、舞台を、三階まである客席を、埋め尽くすほどの椿の花。
一輪一輪は楚々とした椿の花が、
何かの箍が外れたかのような発狂した群れとなって。
椿の木、椿の花。
植物に侵食されただけでなく、その植物の狂気の舞台。
何かが演じられようとしている。
アキは予感する。
そして、少しだけめまいもする。
植物の感覚がアキの感覚に入ってくる。
感覚の解放をしていないのに、これだけ花があれば入ってくるのか、
まずいかな、と、アキは頭の隅で思う。

「ようこそ」
高らかな声。女性の。
「私の最初で最後の舞台へようこそ」
椿の花が拍手をした気がした。
まずい、変なものが見え始めたかとアキは思う。
椿の花はみんな観客だった。
観客だったものが椿になった。
アキの感覚に植物の感覚と、
女性の声がわんわんなる。
「演じるは椿姫。脇役なんて誰もいない椿姫」

たった一人の椿姫の、
鬼気迫る絶唱。
アキに入ってくる椿の感覚が、聴覚が、命を燃やして嘆いて歌っている。
椿姫のことは、よくわからないけれど、
この舞台にたった一人で、彼女は最後の王国にしたのかなとアキは思った。
花満ちる劇場、無伴奏の魂の歌。
それは、世界を征服した植物が恐れを抱くのではないかと思うほど。


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