犠牲
ちりちりと、焼けこげつくような焦燥。
脳裏で警報が鳴っている。
(危険!危険!)
そんな中、クライルはどこか冷静だった。
「ルート!宝石を奪え!」
我にかえったルートが血液まみれの宝石を奪う。
途端、天井や壁に巡らされた赤い石が剥がれて落下する。
きらきらと落ちてくるそれらを、クライルはどこかで見た覚えがした。
…あれは初めて魔法を使った時だった。
赤くはなかった。それらは白くきらきらしていた。
真っ暗のその野原を、初めての魔法で雪原にした。
誰の足跡もない。見渡す限り、白い野原。
ここは、誰も侵さない、自分だけの場所だと思った。
魔力が引き起こした雪、ラシエルの星空。
そこに足跡つけて、侵入者がやってきた。
それは、この場所の主に黙ってマフラーを巻くと、帰りの分の足跡をつけてどこかへ行ってしまった。
自分の場所を侵食された。冷え冷えとした、結界を壊された。
追いかけなくてはならない。
そして、伝えなければならない…
「あぶねぇっ!」
頭の上で声がした。
見ると、クライルのすぐ上にフェンダーの顔があった。
どうやら、落下する石から守ってくれたらしい。
クライルは礼も言わず、女王に向き直った。
女王のその身体に生気はない。
しかし、身体はそこに立っている。
ちりちりとする焦燥を与えつつ、内面の何かが支えているような…
女王は笑った。
高らかに笑った。
そしてそれをきっかけとして、
制御のための印も詠唱もなく、無差別な破壊が始まった。
エネルギー体としか取れないような、光の帯があたり構わずまかれる。
きっと、この部屋の外は、相当な事になっているに違いない。
塔の最上階、妖精の楽園は、見えないけれども、地獄になっているのではないだろうか。
妖精の悲鳴は聞こえない。
女王の部屋が、隔絶された空間だからだろうか。
それとも、悲鳴を上げるまもなく、破壊に飲まれてしまったのだろうか。
妖精として生まれ変わっても、醜く、苦しむのは悲しいと思った。
女王は美しくあることを、多分、望んだはずなのに。
ルートがそんな事を思った時であった。
不意に、光の帯が空を裂く音が遠くなった。
何か、球体に自分が包まれている事を認識するのに、数秒を要した。
さらに、その球体がクライルの手によるものだと理解するのに、更に時間を要した。
見ると、ミシェルも同じような球体に包まれているのが見えた。
そして、クライルは詠唱を続けている。
ルートは気がついた。これはかなり高度な転送魔法の一種ではなかろうかと。
ルートは球体の壁を叩いた。
クライルは詠唱を終え、視覚化できるくらいの魔力の束を球体に放った。
ルートの視界は真っ白になった。
「どうして脱出しなかった」
クライルが問い掛ける。
背中や腕に落ちる瓦礫で傷だらけになった…戦士フェンダーは笑った。
フェンダーは脱出を拒んだ。強引に球体の結界を壊した。
そして、こうやって、瓦礫からクライルを守っている。
「お前は…ばかだ…」
クライルは最後の魔力を絞った。
女王を結界状のものに封じれば、少しは周辺の被害も食いとどめる事が出来るだろうか?
脱出させたルートやミシェルもそう遠くまでは転送できていないはずだ。
これで、橋を落としていた妖精は全滅するだろう。そして、妖精の涙も手に入った。
これからのことは、彼らがどうにかしてくれるだろうから…
女王の身体が水晶のような結界で包まれた。
クライルの、精一杯の結界だ。
クライルは目を閉じた。やれる事はやった。あとは天命を待つだけだ。
しかし…
「フェンダー…聞いているか?」
返事はない。
クライルは構わなかった。
「私はまだ、お前に、伝えていない言葉がある…」
雪の野原。自分の初めての魔法で作った雪原。
それを荒らしていったのはこいつだ…
クライルの唇に、微笑みらしいものが浮かんだ。
「だから…死ぬな…」
フェンダーがクライルを守るようにしている腕に、力を入れた気がした。
ルートとミシェルがアインスの地の入り口あたりで気がついたその時、
妖精の塔は白い火球に包まれた。
ルートは衝撃波と轟音の中、…言葉にならない感情を、叫んだ。