憎しみの形


憎しみは器を求めていた。
力を持った器を、
それでも空虚な器を。

憎しみは、
ある存在を強烈に憎んでいた。
ある存在は、存在するから存在。
だから、憎い。
この憎しみは、それだけ、
憎むべきものを憎む、それだけのような存在だ。

憎しみは、どこかの空間にいるような気がした。
上もなく下もない。
明るいのか暗いのかもわからない。
そもそも憎しみという存在は、
形を持たず、
いまだ世界にいるのかどうか、
憎しみ自身も考えられなかった。
自分がどんな形を持っているのか、
憎しみ自身、自分の形を把握できないでいた。
憎しみだけの存在。
それが、空間の中にいるような気がした。

(…)
憎しみは、何かの声を聞いた。
憎しみしか持たない、憎しみという存在に、
語りかけるような声だ。
その声は、どことなく懐かしい。
(…うまれなさい…)
憎しみは、光を見た。
光があることで、ここが闇なのだと知った。
光の向こう、そこから声がする。
光のほうに行けば、力が得られるだろうか。
器を得ることができるだろうか。
憎い、あの存在を消し去ることができるほどの。
あの存在を超えることができるほどの、
力を、器を。



自分の身体に異変が起きているのを、彼は感じた。
「イリ…ス…」
彼は旅をともにしている彼女に、イリスに、助けを求めた。
彼の名はミシェル。
光神の次の器。
光神を殺し、ラクリマの民を皆殺しにした者。
赤い目のエルフを殺した者。
裏切り続けた者。

ミシェルとイリスは旅をしていた。
愛神ティフェレトの名の下に、
美しい器のイリスが、美しい力を得るため。
そして、イリスは美しくなってきていた。
美しさは力であると、
やがては、その美しさで世界を満たさんとしている。
イリスなら出来るかもしれない。
ミシェルはそう感じていたが…
その矢先のことだ。

ミシェルは、何かが、自分の内側に、
寄生か何かしたような感覚を持っていた。
苦しかった。
自分が自分でなくなりそうだった。
説明がつかない。
これはいったい何なのか。
黒い感覚にのっとられそうだった。

「イリ…ス…」
ミシェルは再び声を上げた。
イリスは魅力的な微笑を浮かべ、
ミシェルの頬を両手で包んだ。
はたから見れば恋人に口づけでもしそうに見える。
ミシェルにわずか、安堵の表情が浮かぶ。
しかし、イリスは口付けなどはしなかった。
「…うまれなさい…」
イリスは言う。
何かに聞かせるように。
それは、ミシェルに対してではない。

ドクン

ミシェルは、苦痛に、声も上げることができなかった。
苦痛、苦しみと痛み。
ひどい感覚だ。
ミシェルは感覚を伝えることも出来ない。
ただ、苦痛に顔をゆがめた。

「うまれなさい」
イリスは続ける。

ドクン
ドクンドクン

神経が殺気立つ。
血液があらぬ方向に走っているような、
感情が黒くなる。
自分がなくなってしまう。
何かに上書きされる!

「うまれなさい」

兄さん、兄さんを取られたくなかった。
赤い目をしたエルフ、
光神は裏切った。
光神を裏切った、
殺した、殺した、
エルフも神もラクリマの民も、
殺した、殺し

「わあぁぁぁぁぁあ!」

ミシェルは悲鳴を上げた。


憎しみは、形を、力を持ちながら空虚な器を、のっとった。


ミシェルの額に、黒い印ができた。
血は出ていないが、それは傷というものによく似ていた。
イリスは、いとおしそうに、ミシェルを抱きしめた。
「あなたは、うまれた」
ミシェルだった身体が、イリスを抱き返す。
「あなたが、呼んでくれたから」
ミシェルだった身体が、ミシェルでない声で、言う。
イリスは、言う。
「あなたの名前は、マーク、額の刻印が示している。あなたは、しるし、マーク」
「私は、マーク」
「あなたは、マーク」

憎しみは、マークという名を与えられた。

「行きましょう、マーク。あなたの心の赴くままに。そして、美しい世界を作るために」
マークとイリスは、
どこかへ旅立っていった。


次へ

前へ

インデックスへ戻る