時神マルクト


ルートは、イリスを見下ろしていた。
人間を滅ぼそうとしていた、
世界を美しくしようとした、愛神は…
今、ここに横たわっている。
触れてみる。
まだ、あたたかい。

ルートは、剣を鞘に収めた。

不意に、背後から、影。
誰かがいる。
「ルート君、どいてくれないか?」
聞き覚えのある声。
そこに現れたのは…
「かぼちゃ…」
そこには、南瓜丸がいた。
南瓜丸は、かぼちゃ頭を脱いだ。
そこには…
ルートと寸分たがわぬ顔があった。
ルートと同じ顔が微笑む。
「私は時神マルクト。そして君は、次の時神の器だ。ルート君」

マルクトはイリスを包み込む。
ふわりと暖かい光があたりを満たす。
やがて、光が収まると、
そこにはすやすやと眠る赤ん坊がいた。
マルクトが赤ん坊を抱きかかえる。
「書き換えの能力だよ」
マルクトが説明する。
「ルート君もこれから、奥の扉に入り、世界を書き換えてもらいたい」
「僕が…」
「新しい時神のつとめだ」
「力は…」
「神の力は、奥の間に置いてある」
マルクトはルートに触れる。
ルートに、何かが流れ込んだ気がした。
「核を流し込んだよ。さぁ、行きなさい」
ルートは、赤ん坊の手に触れた。
赤ん坊は…イリスだった赤ん坊は、
無意識にルートの指を握った。
「マルクト…」
「なんだい?」
「説明してください。イリスは…」
「イリスはマークの母、それでいいじゃないか」
ルートは、それでいいと思った。
母は自分を産んでくれた。
恋するもの、幼馴染、女神、母…
様々の側面を、この赤ん坊が見せてくれた。
書き換えたから違うのかもしれない。
けれど、イリスは生まれ変わった。
そんな気がした。

ルートは、足を引きずりながら、奥の扉へと向かった。
「これで神の力はすべて継がれたんですね」
ルートが扉に手をかけながら問いかける。
「ルート君で最後だ」
マルクトが答える。
ルートは振り返り…微笑んだ。
赤ん坊も微笑んだ気がした。
「彼女を、頼みます」
ルートは言い残して、扉を開いた。

ルートは規則正しく柱の並ぶ部屋に来た。
ルートの勘が告げている。
ここに来るために、ルートの勘は必要だったのだと。
部屋の中心には、椅子が一つ、光を持って置いてある。
ルートは、椅子に腰掛けた。
途端に、流れ込んでくる今までの世界。
世界の事象、世界の人々、ありとあらゆる、この世界。
いつしかルートは、世界と一体化しつつも、
世界を遠くから見ているような感覚に陥った。
小さな世界だ。
ルートはそう思った。
でも、限りなく小さな、この世界が好きだ。
仲間が好きだ。
人々が好きだ。
ありとあらゆる、この世界が好きだ。

閉じた扉を、マルクトは見ていた。
後はルートのすることだ。
新しい時神、ルートの。
「マーク、ルート…」
マルクトは唱える。
「並べ替えればマルクトか」
マルクトは、ポツリとつぶやいた。
「さぁ、行こうイリス」
腕の中で赤ん坊は眠っている。
「今度こそ、振り向いてもらえただろう」
赤ん坊は、むにゅむにゅとなにか寝言を言った。
マルクトは思い出す。
一番最初に9人の男女に神の力を分け与えたときのこと。
最後まで、自分を引きとめようと、せめて、振り返ってほしいと、懇願したものがいたこと。
ティフェレトだ。
憧れなのか愛なのか、何かの執着か…それはわからない。
マルクトは振り返らずに、あの扉の向こうで休んだ。
ちょうど、今、ルートが入っていった扉の向こうで。
しばらくして、ティフェレトがゆかりの地を滅ぼしたことを知った。
振り向いていれば、変わっただろうか。
マルクトは赤ん坊を見る。
無邪気な寝顔だ。
「ルート君、後は頼む」
マルクトは赤ん坊を抱きかかえ、聖地を後にした。

 時の神は始まりにして最後
 幾つもの神を作り給う

 たといあまたの神失うとも
 新たな神はまた生まれん

低く、子守唄のように、マルクトは歌った。

同じ頃。
ゼロの背に皆がいた。
満身創痍だ。
それでも、皆、生きている。
生き残ったのだ。
「聖地に待つもの、マーク…」
テルがつぶやく。
「そして、見届けるもの、ルート…」
テルが、もう一つつぶやく。
「並べ替えてマルクト…」
「…だろうな」
ジュリアが応じる。
「ルートが、時神の器だったんですね」
「これからどうなるんだろうな」
ジュリアがつぶやく。
「ルートがきっと判断します」
(信じています)
テルは心でつぶやく。
(ルート、信じています)
何に対してはわからないが、テルはルートを信じた。

そして…
ルートは、世界を書き換えた。
世界は白い光に包まれ、書き換えられた。


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