お茶の殻博士
ジリリリリ
カチ
「うーん」
緑は布団の中でもぞもぞした。
「何時だろ」
朝と呼ばれる時間。
お日様はよっこらしょと昇っているあたりだ。
「起きよう」
緑は起き上がって伸びをする。
寝巻きに着替えてあり、布団はいつ敷いたのかわからないが、いつものようにあり、
布団の中をよく探せば、壊れた時計があった。
開けば、アジアンタムという名前と、てんで好き勝手な針と生真面目な仕掛け。
「よし」
今度は忘れない。
緑は誓い、まずはシャワーを浴びに行った。
今日も一日お天気がよくなりそうだ。
母はもう、植物の手入れに入っている。
緑はシャワーを浴びると、適当に朝食を作って食べた。
片づけをしながら考える。
母の植物置き場は、農家のビニールハウスというほどでもないが、
結構な温室状態になっている。
自分の温室とやらは、母の夢だったらしい。
気ままな主婦になってから、どうにかして、かなえたらしい。
一体いくつの植物が置いてあるのか。
緑は把握していない。
食器を拭いて、棚に戻す。
キッチンの時計を見る。
「今日は茶殻先生の講義があるからな」
緑は、お茶の殻博士の異名を取る、この講師の講義が好きだった。
荷物をまとめ、タムの気分で走り、大学行きへのバスに乗り込んだ。
通称・お茶の殻博士。
茶殻六郎(ちゃがらろくろう)講師。
昔の御茶ノ水博士の出がらしという意味も含まれているらしい。
天才ではなく、科学的でもない。
ものすごく人気があるわけでもない。
ちょっと枯れた感じのする、おじいさんの講師だ。
何の講義をするかといえば、
古代人と夢、夢における自分への入り口。
夢に見る憧れや理想。
まぁ、そんなものを、科学というより日本の民族伝承に近い形でやる。
緑はそんな風に思っている。
フロイトだとかユングだとか、
そういったものを、緑は熟読したことはないが、
お茶の殻博士は、古来日本における夢を中心に、
時には古典の文章を用いて、
時には昔話と呼ばれるお話を用いて。
多彩な引き出しを持って、緑をその世界にいざなう。
緑はお茶の殻博士が好きだし。
その講義も好きだった。
いつもの緑の調子で、講義室にやってきて、
ぼんやりと席を決める。
なんだかいつも同じところになりがちだ。
面々も似たようなもの。
ものすごく、やる気のある学生はいない。
それでも、お茶の殻博士に何か惹かれるのか、
ものすごく欠席し続ける学生もいない。
緑はバインダーのルーズリーフを開く。
テキストも開いてぱらぱら見る。
そして、ポケットの中の壊れた時計も確認する。
(忘れてない)
緑は緑なりに確認し、お茶の殻博士が来るのを待った。
「ここ、いいかな?」
女性の声がかかった。
緑はぼんやりとその方向を見る。
茶色く染めた髪を肩までかけて、不揃いに切ってある。
二重まぶたの黒い目からは、凛とした印象を受けた。
水色のワンピースに、白い薄手のカーディガンをまとっている。
「いいかな?」
女性は再度尋ねた。
「どうぞ、いつも空席だったんで、誰も来ないと思いますよ」
「よかった。いつもの席、どっかからのサボりが来ちゃっててうるさいんだ」
女性は親指で後ろを示した。
くいとやるのが様になる。
緑はちらりとそちらを見る。
人前で携帯をいじりながら化粧をする学生がいた。
「器用だなぁ」
緑はポツリとつぶやいた。
女性は目を細め、口の端で笑った。
「お茶の殻博士が言ってた。独特の切り口をするって」
「へ?」
「風間君でしょ?風間緑君」
「あ、はい」
「サボりを器用なんて、変な切り口と思うけどね」
「いっぺんにいろいろ出来るじゃないですか。あれでジュース飲めたらもっとすごいですね」
「やっぱり変だわ」
女性は笑みを浮かべた。
「あたしは皆川ケイ。よろしく変人さん」
「よろしく、ケイさん」
「…否定しないところが、やっぱり変だわ」
やがてお茶の殻博士が入って来る。
学生は講義を受ける体制になる。
緑は散々ケイに変だと言われたが…
ネフロスに言われ慣れていて、いまさらと思ってもいた。
お茶の殻博士がよく通る渋い声で、
講義を始めた。