雨恵の町の講義


その日も、緑は、バイトをして帰ってきた。
いつもの晩御飯。
いつもの真夜中の部屋。
壊れた時計が動いている。
緑はパソコンに向かって、パソコンの時計を見ている。
もうすぐ真夜中。
時計が切り替わる。
まどろみに落ちるときはゆっくりと、覚醒するときは一瞬。
なんだか、そんな気がしたが、
まどろみも覚醒も、どちらも同じようなものだと思った。
表も裏も、同じ世界だ。
緑は真夜中を前にして、パソコンをシャットアウトして、電源を切った。
後ろに、気配。

「おい」

緑は、タムに変わる。
「はい」
緑色の大きな、ポケットのいっぱいついたジャケット、小柄な体。
ポケットに壊れた時計を入れる。
タムはOAチェアをまわす。
いつものところに、ネフロスがいる。
「ぼけてないか?」
「さぁ、どうでしょう」
「とにかく、行くか」
「はい」
彼らは扉を開けた。
扉は裏側の世界へとつながっていた。
いつもの、タムの部屋だ。

彼らは扉をくぐり、
扉を閉めた。
ネフロスが、新設の歯車をくるくるまわし、扉を天井に収納した。
「これでよしと」
ネフロスが歯車をロックした。
窓から、裏側の世界、雨恵の町の、ぼんやりした太陽の明かりが差し込んでくる。
「なんか今日は、集まりがあるんだそうだ」
「エリクシルのアジトに?」
「いや、中央噴水だ。それで、講義するんだとか」
「どんな方ですか?」
「博士としか俺は聞いてない」
「はかせ」
「とにかく、エリクシルの連中総出で、今から中央噴水に行く」
「はい」
ネフロスが先にたって、タムの部屋の扉を開けた。
アジトに明かりが差し込んできている。
「あ、タムも来たんだ」
左隣の部屋から、パキラが顔を出した。
「今、ベアーグラス連れてきたとこ。ね」
パキラは部屋の中に顔を向ける。
ひょい、と、扉からベアーグラスの白い髪と黒い瞳が顔を出す。
「おはよう」
ベアーグラスが挨拶する。
「おはようございます」
タムは丁寧に挨拶した。
ベアーグラスは微笑んだ。

ネフロス、パキラ、ベアーグラス、タム。
とりあえず4人で一階の出入り口に向かう。
「なんでもアイビーのつてなんだってさ」
「アイビーの知り合いは多岐にわたるからな」
パキラとネフロスがそんな会話をしている。
「エリクシルって、何人いるのかなぁ…」
タムがぼんやりと疑問を口にした。
「わからないわ。けれど、出て行ったり戻ってきたりもいるのかも」
ベアーグラスが答えた。
タムはうなずいた。
1階、出入り口は開いていた。
クロが扉のあたりで立っていた。
「よ、お前らで最後。一応俺が鍵かけてくわ」
「みんな行ったのか?」
「ああ、ま、ドロボーなるものもいないし、鍵も要らないんだけどな」
扉を出ると、クロが器用に鍵をかけた。
「さ、みんな待ってるぜ」
クロは飄々と歩き出した。
皆がそれについていった。

中央噴水周りには、
即席の台が作られていた。
立派ではない。
金属で作られた、質素なものだ。
それでも、そのまわりに、人だかりというほどでもないが、
様々の住人が集まっていた。
「ほら、タムとベアーグラスは前に行って」
パキラが押し出す。
背の低い二人は、住人の間をくぐって、なんだか前列に来てしまった。
即席の台の近く、アイビーがいる。
二人を見ると、微笑んでうなずいた。
アイビーが、ラッパ型のギミックを取り出した。
ぜんまいを巻いて、口に当てた。
「皆様、大変長らくお待たせしました」
静かな口調のアイビーの声が、大きく響く。
「ただいまより、ラセンイ博士の講義を行います」
アイビーが静かに端に退いた。
そして、博士とやらがやってくる。
白衣に身を包んで、あっちこっちに髪の毛がくるくる回ってひょろーっとのびている。
しわくちゃの顔に、大きな黒い目が乗っかっている。
小柄の少年がついてきている。
こっちは黒髪をちょこんと後ろで縛った白衣の少年だ。
助手だろう。
博士はギミックを持たずに、すっと息を吸った。
そして、
「みっなーさまっ!」
大きな、高らかな声で博士は話し出した。
「ほんじつーは、おまつまーりいただーき、まっことかんしゃっ!」
「かんしゃっ」
助手が語尾をまねた。
ラセンイ博士の高らかな講義が、ぼんやりした太陽のもとではじまった。


次へ

前へ

インデックスへ戻る