いくつもの夢現
二人は、廊下を歩く。
心地よい蒸気が肌をなでていく。
「ええと…」
スミノフは、自分の名前の書かれた扉を探し、まもなく見つけた。
「僕はここ、じゃあまたね、リタ」
「うん。またね」
スミノフはちょっと考えた。
「本当に、また、会えるのかな」
「じゃあさ、約束しようよ」
リタが提案する。
「約束して、また会えますようにって。そしたらきっとまた会える」
リタは小指を差し出す。
「表側の世界の約束の仕方。小指を絡ませて、呪文を唱えるんだ」
スミノフは微笑んだ。
「知ってる気がする」
スミノフは、リタの小指に小指を絡ませる。
「ゆびきりげんまん」
「うそついたらハリセンボン飲ます」
「ゆびきった」
二人は同じ、表側の呪文を唱え、小指を離した。
なんだかくすぐったい気がする。
「それじゃ、また会おうね」
「うん、きっと」
スミノフは、扉を開いて中に入った。
リタは廊下を少しだけ歩き、まもなく自分の名前の扉を見つける。
「リタ、ここだ」
リタは一人つぶやき、扉を開けた。
蒸気消毒された匂いがする。
部屋は片付いていて、白を基調にしている。
必要最低限と思われるものが置いてある。
寝床がある。バスルームは隣に小さいのがあるらしい。
食事を作るような設備はないが、お腹も空かない。
壁には管がいくつかかかっている。
そのうち一つは、曲がって、この部屋に口を向けている。
向いているが、ふたは閉まっている。
リタはその管を見た。
「蒸気伝言管…これで話せるってことかな」
どこかの世界にもそんなものがあった、いまいちリタは思い出せない。
表側の世界か、裏側の世界か。
どちらにもか。
リタは、少し眠くなった。
リタはベッドにもぐる。
乾いたシーツ。心地よい。
なんだか清潔な匂いがする。
リタは、まどろみながら考える。
火恵の民はこの錆色の町から来ていた。
火恵の民は、裏側の世界であの姿をしているもの。
中央火球広場では、確か演説していた。
新しい楽園を作るらしいこと。
多分新しい楽園というのは、雨恵の町をつぶして作るものだ。
火恵の民はエーテルなのだろうか。
錆色の町と、雨恵の町をつないでいる。
表側の世界もつないでいるのだろうか…
どこかに火恵の民はいるのだろうか…
後でサファイアさんに聞いてみよう…
リタはまどろみに落ちていった。
リタの心は、
リタをベッドに残して、錆色の町をめぐる。
蒸気は見えるけれど感じない。
「そろそろ帰らなくちゃな」
彼は思う。
好き勝手な長針短針秒針、生真面目なギミックを感じる。
壊れた時計だ。
彼の心は、錆色の町を離れていく。
錆色の町はどんどん離れ、まぶたを閉じたような感覚のあと、真っ暗の空間になった。
彼は誰かとつながっている。
タムと緑とリタかもしれない。
それはきっとサファイアが言っていた、エーテルだ。
でも、彼はいつも感じている。
自分とは違う、壊れた時計の刻み。
あるいは鼓動。
彼は真っ暗の中、目を閉じる。
誰かとつながっている。
彼は身体を丸めたような感じがした。
何かの中にいる。
あたたかい中、誰かとつながっている。
裏側の世界の時計を壊した女神だろうか。
彼はそんな気がした。
壊れた時計。
彼のものも、つながっているものも、
時計はきっと壊れている。
それはきっと悲しいことではない。
壊れた時計をつなげているのが、ひどく安心できた。
彼は目を閉じて、浮かび上がるような沈むような感覚を持つ。
液体の中にいるような感覚。
ああ、だから、いつも水面に向かうんだ。
彼はそう思った。
覚えていよう、出来る限り覚えよう。
彼はぼんやりとそう思い、
水面に浮かんでいった。
水面には、彼の姿が映る。
彼の姿が交差する。
壊れた時計の刻みがする。
鼓動のように刻まれる。
そして、
やかましい目覚ましの音がした。