父親の影


やかましい目覚ましの音がする。
彼は、布団からもそもそと片手を出し、器用に止めた。
「いまなんじだろ…」
なんとなしに時計を見る。
普段の時間だ。
彼、風間緑はぼんやりとした。
緑がぼんやりとするのは、いつものことだが、
たくさんいろいろあったような気がする。
夢のようであるが、彼の世界のあったことであり、
続いているのだ。
現在進行形。
緑はぼんやり思い出し、
「とにかく大学行かないと」
と、もそもそ起きだした。
今日も太陽がまぶしい。
母の陽子は、相変わらず植物の世話に余念がないようだ。
緑が台所に行くと、
朝食を食べ終えた食器が二人分置いてある。
片方は、母陽子の分。
もう片方は、父智樹(ともき)の分だ。
父は緑が眠っているうちに食事をして、
緑が大学とバイトに行ってるうちに帰ってきて、
緑が帰ってくるころには寝ている。
緑は正直言うと、智樹と腹を割って話したことはないと思う。
ただ、酒をたしなんでいることだけは知っている。
ウイスキーが好きらしい。
燃えないごみ入れに、ウイスキーの空き瓶がある。
緑は智樹のことを、その程度しか知らない。
ただなんとなく、ウイスキーの匂いは、智樹の匂いというイメージはあった。

緑は朝食を取ると、
食器を全員分片付けた。
母が食器を出しっぱなしは珍しい。
そして、シャワーを浴びて身だしなみを整えて。
大学へ向かう。
まぶしい緑。
からっとした風。
緑は車窓の風景を見ながら思う。
太陽はぼんやりしていない。
蒸気なんて出ていない。
移動にはバスを使うし、
自分の足でどこまでもなんて出来ない。
つくづく、小さな世界に行っていたんだなぁと思った。
バスの案内が流れる。
次は緑の大学の前。
緑はボタンを押して、降りた。

いつもの講義を受けて、昼食前。
ロッカーから、『世界の名酒事典』を取り出した。
裏側の世界、雨恵の町の銃弾の名前はわかったが、
期限まで読むのも面白いと思って、
なおかつ、持って歩くと重い。
だから、個人用ロッカーに、もって帰らないテキストと一緒に入れてある。
ロッカーの中でも、かなり場所をとる。
緑は分厚いその本を取り出すと、
食堂へと向かった。

昨日と同じような場所に、二席取る。
分厚いその本を読む。
今日はウイスキーのことを読んでいた。
半端でなく種類が多い。
一つ一つにラベルまでわかる写真が載っているので、
半端でなく分厚い。
「今日は何」
後ろから声がかかった。
ケイだ。
「んー…父さんの飲んでるのを探してます」
ケイは面白そうに、緑の取った席に座った。
「へぇ、緑の親父さんは、酒飲みなんだ」
「燃えないごみに酒の瓶があるってことしか、わかんないんです」
「ふぅん、それで興味持ったんだ」
「はい」
緑はぼんやりと答える。
ケイは面白そうに見ていた。
今日のケイは、やっぱり気合が入っている。
短くはないスカート、デニムという素材らしい。
灰色の半そでシャツを着ている。
小物として黒の大きな帽子まで持っている。
ふんわりと頭を包んでいて、帽子のつばは前だけに出ている。
「思うに」
ケイの一言に、緑が本から顔を上げる。
「世界のウイスキーじゃなくて、まず日本のウイスキーから当たって検索したら?」
「ああ、そうですね」
「お手軽に手に入るなら、多分日本製でしょ」
「見てみます」
緑はぱらぱらとページをめくり、日本のウイスキーを探す。
そして、目は瓶のラベルを追う。
「ウイスキーは、大雑把に言えばビールを焼いたもの。アルコール度数も高いわね」
「どうやって飲んでるんでしようね。ウォッカみたいにジュース入れるわけでもないでしょうし…」
「カクテルはないことはないけど、ストレートとか、ロックとか、水割りとかそのへんかしらね」
ケイが横で話しているのを聞きながら、緑は検索する。
「今度親父さんに聞いてみれば?どうやって飲んでるのって」
「父さんとは、いつもすれ違いですよ」
「ふぅん…親子の会話がないとか、家庭崩壊とか、家庭内別居とか、仮面家族だとか」
ケイは面白そうに、ことを大きくしていく。
「あ、あった」
ぼんやりと緑が言う。
「どれ」
「サントリーの角瓶の黄色いやつですね」
「へぇ、いい趣味してるね」
緑は、父親の影に触れることができた気がした。


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