隠されるもの
二人は食堂で、いつもの食事を始める。
ケイはうどん。
緑はハヤシライス。
いつものメニューだ。
ケイは帽子を脱いだ。
そして、豪快にうどんをかっこむ。
緑はもぐもぐとハヤシライスを食べる。
相変わらずの風景だ。
食事を終えて、
緑が水を二人分持ってくる。
「はい」
「さんきゅ」
ケイは水を一気に飲み干すと、
気持ちよさそうに息をついた。
「今日は一味を入れすぎた」
「唐辛子ですか?」
「うん、瓶がうっかり開いちゃったから、どばっと」
「あちゃあ」
「でも、まずくはないわね」
緑は辛いものを食べられないわけではないが、信じられないと思った。
それが顔に出たらしい。
「なに、変な目で見ないでよ」
「あ、そんなに辛いの食べられないなぁと…」
「辛いのだめなの?」
「んー…お菓子のハバネロ位なら何とか」
「ふぅん、あれ一袋くらいかぁ」
「唐辛子どばっとは、無理かなぁと」
「根性なし」
「そんな根性なら、なくてもいいですよ」
緑は、ぷぅと頬を膨らませて見せた。
20歳そこそこの男がやったところで、かわいげも何もないだろうが、
ケイはきょとんとした後、大いに笑った。
「まぁいいよ、風間は風間、あたしはあたしだもんね」
ケイは、笑いすぎて涙目になっている。
緑はなんとなく、ケイの目の下に指を当てた。
涙をそっとぬぐう。
ゆっくりとした時間。
指がケイの目の下に触れて、ゆっくりぬぐい、離れるまでの、
ゆっくりとした時間。
食堂の喧騒も遠ざかる。
なんだか、二人だけ時間が違うところに行っているような。
そんな感覚。
「…なに?」
ケイが、まだ、時間から戻って来ていないように、ポツリとつぶやいた。
「…え、あ…涙…こぼれてたから…」
緑もまだ、時間から戻って来れない。
「それで、いきなり顔に触れてぬぐう…わけ?」
「…え…あの…」
緑はようやく時間が戻ってきた。
「ごめんなさい…」
緑はいつものぼんやりした調子で、ケイに謝った。
誠意は詰め込めるだけ詰め込んだつもりだ。
ケイも、時間が戻ってきているようだが、
なんとなく気恥ずかしいらしい。
また、黒い大きな帽子をかぶってしまった。
顔が見えにくくなる。
「こんなことのために、この帽子買ったんじゃないのに」
「…こんなこと?」
「風間から顔を隠すためじゃないってこと」
「じゃあ、何で顔を隠すんですか?」
「なんか、恥ずかしいから」
「涙ぬぐったことなら、何べんでも、心こめて謝りますから」
「謝らなくていい」
「なら、なんで」
緑はわけがわからない。
謝らなくていいのに、恥ずかしいと、ケイは顔を隠すのだ。
緑は、ケイの顔が見えないことが、ひどく残念なことに思われた。
そっと、帽子に手を置き、ゆっくりとケイから帽子を奪った。
ケイは抵抗しなかった。
緑は、ケイの膝元に帽子を置いた。
ケイは今度はかぶらなかった。
「顔が見えないと、残念だと思うんです」
「あたしの?」
緑はこくりとうなずいた。
「きれいな顔なんですし、隠しちゃもったいないです」
ケイは、不意を疲れたように硬直し、そして、大いに赤面した。
ぷいっとそっぽを向く。
緑はその様子に戸惑いながら続ける。
「皆川さんの涙は、全部ぬぐいたいと思うんです…なんでかはわかりませんけど…」
そっぽを向いたまま、ケイがぽつぽつ話し出す。
「…皆川さんじゃなくて、ケイと呼びなさい…」
「え?」
「涙ぬぐうくらいなら、名前で呼ぶ位しなさいよ」
「ケイさん」
ケイは、耳まで赤くしながら、そっぽを向いている。
帽子はかぶらない。
「ケイさん」
「天然風間」
「天然でも何でもいいですよ」
緑は、微笑んだ。
ケイは、顔に赤みを残したまま、緑のほうを向いた。
「風間は、今まで女と付き合ったことあるの?」
「なんでまた?」
「あるのかないのか!」
ケイの剣幕に、緑は答える。
「…ないですよ…一度も」
緑は、正直に答えたが、
ケイはなぜかそれで機嫌をよくした。
くしゃくしゃに笑っている。
「そろそろ、次の講義だし、あたし行くわ」
ケイは帽子を手に取り、席を立った。
何かを秘めた笑みをしている。
「天然風間は私のものっ」
「え?」
「明日も、食堂会議、忘れないこと!」
「はい!」
決定事項にされて、緑は小さくため息をついた。
あの黒い目が、涙にぬれたり、何かに隠れたりするのが嫌だった。
緑はそう思った。