根を下ろすもの
タムは、ちょっとだけ時間をもてあましていた。
連弾について調べようかとも思った。
タムはぼんやりとする。
左隣の部屋から、かすかに水の音がする。
『左隣って、ベアーグラスだっけ?』
「うん、昨日連弾してきつかったからじゃないかな」
『へぇ、すごいことするんだなぁ』
シンゴに、やっぱり他意はないらしい。
「シンゴは、いつも明るいよね」
タムはシンゴに話しかける。
『うん、明るいところにいるからかな?』
「暗いところでは、暗くなっちゃう?」
『んー…暗いと眠くなっちゃうし』
「シンゴも寝ちゃうよね」
『多分さ』
シンゴはふわっとタムに向かって吹き、
また、ちょっと距離を置いたらしい。
『タムに影響されてると思うよ』
「僕に?」
『うん、タムがいつも明るいから、俺もそんな風なんだと思うよ』
「シンゴの風は心地いいよ」
『すっげえほめ言葉』
シンゴは、部屋の中でくるくるくるっと回った。
よほどうれしいのだろう。
ちりりんちりりん
グラスルーツ送受信機のベルが鳴る。
タムは、受話器を取った。
『タム』
静かな声。アイビーだ。
『グラスルーツ管理室に来てください。仕事があります』
「はい」
タムは答え、受話器を下ろした。
ガチャリと切られる。
『お、また仕事かい?』
シンゴがどこかうれしそうに言ってくる。
「うん、また仕事だよ」
『タムが認められるとうれしいなぁ。なんだかなんだかうれしいよ』
シンゴはくるくるっとまた吹いた。
タムは目を細めて、シンゴの吹くのを見ていた。
「それじゃ、行ってくるね」
タムはこつこつと靴のかかとを鳴らす。
『がんばってな』
シンゴはタムに声をかけ、カーテンと踊りに戻っていった。
タムは扉を開け、廊下に出る。
「よしっ」
タムは走り出す。
エリクシルのギミックの音が聞こえる。
アジトのおおよそ3階から、
1階まで駆け抜ける。
ごとーんごとーん…
からからから…
いつものギミックの音。
風の音、下で流れる水の音。
いつも聞いている音だ。
ぼんやりした太陽の光を取り込んで、
アジトの中はいつも明るい。
階段を駆け下りたり、坂道を駆け下りたり、
息も切らせず楽しくアジトを駆け抜ける。
そして、1階のグラスルーツ管理室にやってきた。
タムはいつものように、ここで急停止する。
そして、扉にノック。
こんこん。
「どうぞ」
いつものように、静かにアイビーの声がする。
タムは扉を開け、中に入った。
グラスルーツ管理室のギミックは、相変わらず多い。
アイビーはそれをいじっている。
タムはゆっくり管理室に入ると、
扉を静かに閉めた。
「今、椅子を出します」
アイビーは片手で、歯車を回す。
タムの前に、椅子が一つ上がってくる。
タムは、静かに椅子に腰掛けた。
「今日は、どんなお仕事ですか?」
タムは問いかける。
「今日は、プミラと行ってもらう予定です」
「プミラと」
「先ほど連絡をしましたが、しゃくりあげててなかなか話が通じず…」
アイビーは静かに言うが、何もかも、実はわかっているような気がした。
さっきあったことも、実はわかっているのだろう。
タムは言わないことにした。
アイビーは、片手でギミックの細かいのをいじりながら話す。
「私たちは、根ざすもの。この雨恵の町に、根を下ろすもの」
独り言のようだ。
タムは黙って聞いている。
「私たちにはたくさんの仲間がいる。でも、もっとたくさんの仲間があるとしたら」
「あの…」
「世界をまたにかけるということは、そういうことだと思うの」
アイビーは、微笑んだ。
「根を下ろしてしまっても、理論上はいろいろな世界を行ける。飛べるはず」
「アイビーさんは、どこかに行きたいと思いますか?」
アイビーは、腰まである長い髪を揺らした。
首を傾げたらしい。
「不思議ね、心まで根を下ろしてるみたい。この雨恵の町から出ようと思わないの」
アイビーは微笑んだ。
「それでも、したいことがあるから、エリクシルにいるの」
「アイビーさんのしたいことって…」
タムが問いかけようとしたとき、
扉が開いた。
「いや、えらくすみませんわ」
プミラが入ってきた。
タムの問いは、そこで中断されてしまった。