髪をとく人
リタは目覚め、起き上がる。
蒸気消毒のにおいがする。
清潔なシーツ。
一晩寝たくらいでは、不潔にもならないのか。
リタは頭をかく。
束ねられた髪が乱れた。
「ありゃ」
リタはすっかり失念していた。
コーディネートされてから、いじっていない。
すなわち、髪を束ねたまま寝ていたのだ。
「あっちゃー…」
リタは髪のあちこちを触ってみる。
もじゃっとした感覚。
「とほほ」
リタはがっくりとした。
自分で髪を束ねたことなんてない。
「どしたもんだろ」
リタはとりあえず髪を結んでいたゴムを外す。
このまま外に行ったら、蒸気で髪がへばりつくだろうなと考えた。
リタはベッドサイドに腰掛け、ぼんやりと悩んだ。
こんこん。
ノックの音。
「どうぞ」
リタが言うと、扉が開いた。
「おはよ」
スミノフだ。
元気そうに片手をあげている。
「おはよう」
リタも答えた。
スミノフは、リタの髪に気がついたらしい。
「何その頭」
「昨日そのまま寝ちゃったんです」
「そのまま寝たにしても…まとめなおせばいいじゃないか」
「やりかたわかんないんです」
スミノフは、大きくわざとらしいため息をついた。
「僕がやってあげるから、バスルームからコームとっておいで」
「あ、はい」
リタは立ち上がり、バスルームに向かった。
金属を磨いた鏡の前に、
細々しいものがある。
その中に、コームを見つけた。
リタは戻る。
スミノフは、ベッドサイドに座って待っていた。
「ほら早く、ここに座って」
スミノフがベッドサイドをぽんぽんと叩く。
リタは促されるままにコームをスミノフに渡し、座った。
スミノフは、コームでリタの眺めの髪をとく。
「へぇ、男なのにさらさらだ」
感心しながら、優しく、とかす。
リタは心地よさに、うっとりとする。
スミノフは何度かリタの髪をとき、
「ほら、まとめるの、ゴム?」
と、リタに声をかけた。
リタはあわててゴムを手渡す。
スミノフは、手早くリタの髪まとめた。
「これでよしっと」
スミノフはできばえに満足したらしい。
「ありがとうございます」
リタはバカ丁寧に礼をした。
「僕が好きでやってることだから、いいの」
スミノフはにっと笑った。
「さて、サファイアさんのところに行こうか」
スミノフはベッドから降りる。
リタもベッドから降り、靴を履いた。
服装は、錆色の町のものになっている。
切り替わったのだ、と、リタは思った。
「サファイアさんに、聞きたいこともありますし」
「へぇ、なんか見た?」
スミノフは、いつだって好奇心の塊だ。
黒い目をきらきらさせて、聞いてくる。
「火恵の民を」
「ああ…なんか中央火球広場で演説してたね」
「あれがいましたね」
「へぇ…なんだか厄介そうなやつらだよね。何しでかしてた?」
「なんというか…いろいろあって、戦いました」
「戦えるの?」
スミノフが意外そうに聞き返す。
「なんとか」
リタは苦笑いしながら答える。
「リタも捨てたもんじゃないね」
「そりゃどうも」
「じゃ、詳しい話はサファイアさんと聞こうか」
「行きますか」
スミノフは、小走りに扉に向かう。
何かを口ずさんでいる。
リタは、思いつくことがあり、
「あの」
と、口走った。
スミノフが振り返る。
「スミノフさんは、覚えていることはないんですか、その、今の歌とか」
「歌?」
リタはどこかで聞いたことがある。
髪をなでながら、誰かが歌っていた歌。
「歌なんて歌ってた?」
スミノフに自覚はないらしい。
リタはうなずく。
「歌ってたってことは、多分いい歌なんだよ」
「いい歌?」
「ん、きもちいい記憶が、隠れてるのかも」
スミノフはそれだけ言うと、扉を開けて出て行った。
リタも、後を追って、扉から出て行った。
扉はまた、閉められた。