水よりわかたれる
リタはスミノフを追う。
黄銅の門をくぐり、ゆがんだ路地に入る。
「気をつけてください」
リタは一応スミノフに声をかける。
スミノフは、ゆがんだ路地を駆ける。
蒸気管がゆがんでいる。
蒸気漏れをしていないということは、それなりに質のいいものらしい。
スミノフが蒸気管に足を取られた。
追ってきたリタが支える。
「だから言ったじゃないですか」
「まぁまぁ。リタがいるから走れるんだよ」
スミノフは悪びれた様子もなく、体勢を整えた。
そして、今度は慎重に歩く。
リタの手に、ぬくもりがほんの少し残っている。
リタは少し残っていたぬくもりを感じた。
ぬくもりは消え、すぐに記憶へと変わる。
スミノフはやわらかくあたたかい。
そんな印象を持った。
「リタ、置いてくぞ」
前でスミノフが声を上げた。
リタは慎重に歩いていった。
路地の果て、
申し訳程度の階段と、その上の扉。
リタとスミノフは、以前来たときのように、
鍵蒸気箱で認証して、鍵を開けてもらう。
鍵蒸気箱がしゅんしゅんとあがっていった。
スミノフは先に扉を開けようとして…
「やっぱりリタがあけて」
と、後ろに回った。
最初の大量の蒸気を浴びるのが苦手らしい。
リタはスミノフを後ろにして、扉を開ける。
かなりの蒸気が扉からあふれる。
熱くはない。
リタは扉の中へ、一歩一歩歩き出す。
スミノフがしがみついて続く。
数歩歩いて、扉が後ろで閉まった。
サファイアの研究施設は、いつも蒸気で満たされている。
リタが扉を開けて出て行った蒸気も、すぐにまた、満たされた。
呼吸すれば、蒸気が内に入り、また、吐き出される。
そして、水滴はほとんど落ちてこない。
空調がそういう仕組みなのか、蒸気は蒸気であり続け、めったなことでは水にならないらしい。
リタは、歩きながら、床を確かめる。
最低限湿った床。
水滴は落ちてこない。
そして、滑らない。
「よくできてますよね」
「何か考えてた?」
「蒸気が蒸気であり続けてるなぁと」
「ああ…冷やすと水になっちゃうんだっけ?」
「そうそう。空調が特別なのかなぁと」
「研究施設だもんね」
二人は話しながら、歩いた。
先は蒸気でけぶっている。
そして、人影。
「戻ったようだね」
サファイアが出迎える。
相変わらず青い義眼は、どこを見ているか、よくわからない。
金属の板を持ち、ペンを耳に挟んでいる。
「どこに行ってきたんだい?」
「僕らは黒銅の門の通りに行ってきたよ」
「風すすりの店がある通りだね」
「そうそう」
スミノフは得意げに話す。
「帰りに、火恵の民のチラシももらってきたよ。何か役に立つかなって」
「ありがとう」
スミノフは、金属製のチラシを渡す。
サファイアは記されている内容を見ているらしい。
「なるほど、楽園に永遠の命か…」
「サファイアの言ってた、仕掛け人形に入れば、永遠の命なんじゃない?」
「そうだね、推論の域を出ないが…」
サファイアは、耳からペンを取ると、金属の板に何かを記し始める。
「楽園とされる異世界は、水に満ちている」
「そこをつぶすんだってね」
「そこには、異端の火恵の民もいる」
「リタが言ってたよね、異端の火恵の民」
スミノフがリタを見る。
リタはうなずく。
サファイアは、ペンをこつこつとさせる。
「錆色の町の住人は、蒸留されて生まれる命だ。火により水から、わかたれて生まれる」
「火、水…」
「異端の火恵の民は、水に帰る手段を持っているのではないだろうか」
リタは何とか思い出そうとする。
なんだか、水を大量にかぶっていたことしか思い出せない。
「火恵の民は、水に帰る手段など、持つはずもないだろう」
「だろうね、水を嫌ってたもん」
「当面の研究は、異端の火恵の民か…」
サファイアは、金属の板を見る。
「火恵の民から派生する異端、…ではないな。火恵の民が異端と見ている存在かな」
サファイアがぶつぶつとつぶやく。
「だとすれば、転移方法も違うものだろうし、異世界の姿も違うだろう」
サファイアは、ふぅと息をついた。
「今日はもう休みなさい。部屋は整えてある」
スミノフとリタは席を立った。
そして、おのおのの部屋へと向かい、廊下への扉を開けた。