記憶の末端


タムは、グラスルーツ送受信機の受話器を取る。
『タム』
いつもの静かな声。アイビーだ。
『グラスルーツ管理室に来てください。仕事があります』
「はい」
タムは答え、受話器を下ろした。
『仕事?』
シンゴが声をかけてくる。
「うん、アイビーさんから。仕事だって」
『がんばってこいよー』
「おー」
タムは無邪気に手を上げると、扉を開けて駆け出した。

アジトのおおよそ3階から、駆け下りる。
少しくらいの段差なら飛び降りる。
ギミックの音が聞こえる。
ごとーんごとーん、からからから…
今日もアジトは明るい。
風が少し流れる。
水の音がかすかに聞こえる。
明るい通路を、タムはいつものように駆け下りていった。
1階の、グラスルーツ管理室の前で、急停止。
ノックをする。
こんこん。
「どうぞ」
いつものように、アイビーの声がする。
タムは扉を開けた。

アイビーは、ぱちりと小さなギミックをいじって、タムのほうを向いた。
「駆け下りてきましたね」
「早く仕事したいんです」
「もう一人が来ます」
「もう一人?」
こんこん、ノックの音。
「どうぞ」
アイビーは静かに入室を促す。
ベアーグラスが入ってきた。
「あ、タム」
「一緒らしいよ。身体大丈夫?」
「ん、大丈夫」
アイビーが、二人を認め、静かに話し出した。
「今回の仕事は、記憶の末端を探してほしいのです」
タムとベアーグラスは、ぽかんとした。
アイビーは、それもわかっていたらしい。説明に入る。
「壊れた時計と、グラスルーツの中の記憶を一緒にすれば、また、生まれ変わるようなことも出来る」
「それ、ベアーグラスが…」
「そう、この手段でベアーグラスは戻ってきました。また…」
アイビーは続ける。
「誰でもない影法師と、壊れた時計を入れ替えることで、新しい身体を手に入れる」
「それは、ポリシャス町長」
アイビーはうなずいた。
「影法師と入れ替えるには、約束が必要。町長のときはタムの覚えていた予言です」
タムはうなずく。
「また、ベアーグラスも、タムと壊れた時計を連動し、ベアーグラスの壊れた時計を取り戻す」
ベアーグラスもうなずく。
「共通事項は壊れた時計。この世界を女神が作るときに壊した時計です」
タムはこくこくとうなずく。
「さて…」
アイビーは本題に入るらしい。
「壊れた時計であなたたちの時は流れています。その時の中で、経験し、記憶し、成長します」
「ふむふむ」
タムがうなずく。
「では、経験や記憶が、壊れた時計の、時の外に行ってしまったら」
「何にもしてないことになっちゃう」
ベアーグラスが指摘する。
アイビーはうなずく。
「無論、グラスルーツの中に残せば取り戻せます、ベアーグラスのように」
「グラスルーツじゃないところに?」
タムが指摘する。
アイビーはうなずいた。
「記憶や経験は消えるものではありません。どこか、きっかけがあれば取り戻せる」
「そういう仕事なんだ…」
アイビーはうなずいた。
「仕事の依頼人は、ワイヤープランツ男爵」
「あ、メイちゃんの?」
タムの思い出した一言に、
アイビーはうなずく。
プテリス・メイは、以前迷子になった子だ。
「記憶の末端が消えているのは、ご子息のプテリス・エバージェミエンシス君です」
「その彼の、記憶の末端を探すってことですね」
「彼の何が抜けているかは、彼に聞いてください。そして、彼の経験した空間に、記憶はあるはずです」
タムとベアーグラスはうなずいた。
「念のため、銃弾を支給します。火恵の民の活動が活発になりつつあるようですので」
アイビーは歯車を回した。
奥から袋が、レールにつるされてやってきた。
「こちらはベアーグラスに。タムには、この偽弾を」
タムは、真っ赤な偽弾をもらった。
「一つスミノフが空いたところに下げればいいでしょう」
タムは、首飾りの空いたところに赤い偽弾をぶら下げる。

タムとベアーグラスは、グラスルーツ管理室を出る。
今日も仕事が始まる。


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