境界の蝶々


「つないでいる、それこそが…」
タムの言葉をエバが繰り返す。
「これは僕だけ言葉でないし、この世界の言葉でないんですね」
エバはそういうと、開きっぱなしだった本を閉じた。
「ありがとう。僕の記憶が戻りました」
エバは理性的な目でタムを見る。
タムは、メイの持ってきた、蝶々の絵本を差し出す。
エバは微笑んだ。
「ここにあったんですね…」
メイがにっこり笑う。
「エバにいさんが、もじおぼえて、さいしょによんでくれたほんだよ」
「そうか…うん、そうだった」
エバは絵本を手に取る。
エバの記憶の末端は、彼の中におさまった。
「…どう思われます、エリクシルの方」
エバが大人びた口調で問いかける。
「僕の読んでいた本は、僕が記憶を探しに、理解される場所を探しに、費やした時間は…」
「無駄じゃなかったと思うわ」
ベアーグラスが答える。
「そうでなければ、あなたは自分の世界を、立ち位置を知ることがなかった。私はそう思う」
ベアーグラスは散らかった本を見る。
「無意識かどうかは知らないけれど、そういう本が散らばってるわ」
「僕は、この世界を、その境界を、知りたがっていたんですね」
「そして、境界に立っていたの」
「境界に立ち、つなげていた…」
エバは散らかった本を見る。
タムも視線を追う。
エバの旅の痕跡だ。
蝶々の絵本から、エバはずっと旅していた。
ワイヤープランツ男爵が窓を開けた。
カーテンが舞い踊り、
旅の痕跡の本は、一斉にページを回す。

ぱらぱらぱらぱら
くるくるくるくる

「エバ、おかえり」
「ただいま、父さん」
エバは微笑んだ。
もう、彼の目に、不安はない。
蝶々の絵本を抱きしめ、エバは窓の外を見る。
タムも見る、ベアーグラスもメイも、ワイヤープランツ男爵も見る。
ぼやけた太陽。
境界の見えない太陽。
「この世界は、小さな世界です」
窓の外を見ながら、エバがつぶやく。
「町という共同体の形を取っていますが、雨恵の町、それでひとつ完成した世界です」
ワイヤープランツ男爵も聞き入る。
そしてたずねる。
「エバ、お前はどんな世界の境界を見たんだい?」
エバはじっと太陽を見ている。
「僕が蝶々になっていたのか、今の僕が蝶々の夢なのか…」
エバは絵本に視線を落とす。
「蝶々は様々の世界の境界を飛びました。ほの暗い錆色、あるいは、明るい太陽」
タムはエバに視線をやる。
エバは絵本の表紙を見ている。
「何を意味するのかはわかりません、けれど、記憶の末端にはそれがあるのです」
それを聞き、タムの中に、言葉がひらめいた。

『世界はまた一つになり、彼は見つける』

タムは、そのままつぶやく。
「世界はまた一つになり、彼は見つける」
エバがタムのほうを向く。
ベアーグラスも、はっとした表情をしている。
「それ、フユシラズの…」
タムはうなずく。
「最後の予言だ」
エバは何か納得した顔になる。
「きっと、今は境界が出来ているこの世界が…一つになるのでしょう」
「エバ、君の見た世界が、つながるんだ」
エバはうなずく。
そして、語りだす。
「僕が思うに、世界をつなぐことは容易なことではありません」
タムはうなずく。
エバは続ける。
「僕が感じた限り、必要なのは、イメージ、そして、約束、記憶。それから…」
「それから?」
「世界をつなぐ強い意思と、何らかのパワー。これらは、境界にいたときに感じた限りです」
ワイヤープランツ男爵があごに手を添える。
「ふむ、そうなると、別世界の記憶を持っていないと、世界はつながらないか」
「はい、おそらく」
「別世界の記憶を持つものなどいるのかね」
「僕でも境界に場所をもてました。きっと、誰かは」
ベアーグラスが眉間にしわを寄せる。
「あるいは…それは、危険なことになんじゃないかしら」
「危険?どういうことかね?」
ベアーグラスは顔を上げた。
「きっと、火恵の民が狙ってくる」

さぁ…と、窓から風が吹いた。


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