酔いの月
ケイがグラスを開けた。
4杯目になる。
「いくらなんでも早すぎですよ」
「いいのいいのー」
ケイは上機嫌だ。
よく食べ、よく飲む。
そして、よく笑う。
色づいている頬。そして、唇。
ケイ自身が、熟した果実のように思われた。
緑はそんなことを考え、ふいとケイから目をそらした。
よくないことを考えたかもしれない。
なんだか、うしろめたかった。
「何だよ風間ー。もっとのめー」
ケイは上機嫌だ。
緑のうしろめたさなど知らぬように。
もしかしたら、知っているのかもしれない。
緑は、グラスに手をやる。
これは二杯目。
ブラディー・メアリーだ。
これも覚えていたもの。
注文する際に、やっぱりケイから突っ込みが入った。
なんとなく覚えていた、で、かわした。
緑が下調べをしたとでも思われているだろうか。
「まぁ、いいか…」
「なにがいいのさ」
「ケイさんが楽しければいいんです」
「風間も楽しめ!」
ケイはびしっと指を突きつける。
緑は苦笑いした。
「はい、楽しんでいます」
ケイは、にこー、と笑った。
その笑顔すら、危ない果実のようだと思った。
それから2時間ほど過ぎて…
酒席の会計を割り勘にして、
二人は駅の近くを歩いている。
時刻は7時になる頃。
緑はケイの手を引く。
ケイはよたよたとついてくる。
ケイは、一体何杯飲んだのか。
緑は把握していない。
吐き戻しなどはしないが、上機嫌の千鳥足。
危なっかしく見えた。
緑は考え、ケイをぐいっと引いた。
「ありゃ?」
間抜けな声を出して、ケイが緑の元に引き寄せられる。
緑はケイの腕を組んだ。
このほうが安定する。
ケイは上機嫌で腕を組んでいる。
「彼女つもり気分」
ケイは、意味のあるようなないようなことを言うと、一人で小さく笑った。
二人は駅の時計台を目指す。
ベンチがあれば座ろうと。
人通りはある程度ある。
その中を、二人腕組んで歩く。
恋人同士、そう見えるだろうと、緑は思った。
時計台の近くに、二人腰を下ろす。
ケイは緑の肩にもたれかかり、なんだか楽しそうに笑っている。
時計台はライトアップされている。
白とも青とも、不思議な光が幻想的に映る。
「風間」
「はい」
「たのしかった?」
「はい」
「よかったー」
ケイは、体重を緑にかける。
緑の目の前に、ケイの顔がある。
ケイは、にこぉと笑った。
「だいすきー」
ケイは、緑に抱きつく。
力強く、酔っ払いなのに。
緑もそれを受け入れた。
酔っている、それを免罪符にして。
緑は、ケイの背をぽんぽんと叩いた。
「僕も大好きですよ」
「しってるー」
完全に酔っているなと緑は思った。
明日覚えていてくれるだろうか。
自分も明日覚えているだろうか。
全ては酔っ払いの戯言だ。
ちくりと、心が痛んだ様な気がした。
気のせいだ。
酔っ払いは何も考えない。考えなしだから酔っ払いだ。
緑は、夜空を見上げた。
ぼんやり曇天だった空は、晴れたらしい。
明るい月が浮かんでいる。
「ケイさん」
「うん?」
「月がきれいですよ」
「どれー」
抱きついていたケイが離れ、また、緑の肩にもたれかかる。
月は明るく光っている。
二人は月を見上げている。
明るい夜の中、ケイは鼻歌で旋律を歌っていた
どこかで聞いた旋律。
どこだったかは、考えないことにした。
子守唄のように心地いい。
酔っ払いと明るい月。
そして、多分恋人になりきれてないような関係。
ふいに旋律が途切れる。
「風間」
「はい?」
「明日空いてる?」
「はい」
「なら、同じ時間に明日時計台の下」
「お昼に?」
「だめ?」
「いいですよ」
隣でもたれかかっている、ケイが安堵したのがわかった。
そして、緑は、ケイの酔いがさめていることに気がつかなかった。