女神


タムは両翼を羽ばたかせ、
ひずんだ赤い球体の中心に…雨恵の町の太陽に向かって飛ぶ。
シンゴも届かなかった空の中、真っ赤な中を飛ぶ。
飛んでいると感じている。
でも、上下の感覚は薄い。
向かうはひずみの中心。
タムは感覚を頼りに飛んだ。

赤い空間の中、タムはおぼろげに人影を見つけた。
ベアーグラスがそれを見た。
「先代の女神の約束がいる…」
「約束?」
「あそこに私が行き着いて、女神になる」
「わかった。行こう、約束まで」
タムは一直線にその場所に向かった。

ひずみの中心に、影法師がいた。
女性のかたちをした影法師が。
ここがきっと太陽の中心。
ぼんやりと雨恵の町を照らし続けていたのだ。
抱きかかえられていた、ベアーグラスがそこに降りた。
タムも、ベアーグラスの隣に降りる。
「タム、覚えてる?」
ベアーグラスがたずねる。
「これが、グレードマザーだよ。以前にラセンイ博士が言ってた」
「グレードマザー…」
「時計を壊し、火から雨恵の町を守っていた…グレードマザー」
「その、約束」
「うん」

ベアーグラスは、わかっていたように、影法師に…約束に手を伸ばした。
『私に流れるものの名を』
「ハツユキカズラ。それがあなたの名前」
『ハツユキカズラ…私の名前。約束されていたこと』
「そう、これであなたは流れるものの中にいられる」
『そしてあなたが、この世界の太陽に…』
「ならないかもしれない」
『…そうですか、時が来たのですね』
ベアーグラスはうなずいた。
ハツユキカズラと名前を持った、影法師がうなずく。
「世界はまた一つになり、彼は見つける」
ベアーグラスが唱える。
ハツユキカズラはうなずいた。
『その約束が成就されようとしているのですね』
「今、まさに」
ベアーグラスが一歩、歩みだす。
ハツユキカズラが、ゆっくり沈んでいく。
『場所を空けましょう。あなたのために』
「今までありがとう、ハツユキカズラ」
ハツユキカズラは、赤い空間をゆっくり沈んでいった。
「…彼女は世界に戻れた…」
「これからどうなるんです?」
タムはたずねる。
ベアーグラスはさびしげに微笑んだ。
『女神になどさせるか!』
カレックスの声がする。
ここまで追ってきたのだ。
影が、実体を持たない影が、
女神の、ハツユキカズラのいた場所を狙う。
ベアーグラスが両手を広げた。

「カレックス!わが名もカレックス!カレックス・ベアーグラス!影と光を共にするものなり!」

ベアーグラスを影が囲む。
女神のいた場所に、カレックスは立つ。
『カレックス、カレックス…』
「影とともに歩まん!次の世界を!」
『私は…』
「カレックス、わが影!」
『私は…』
「ともに世界の柱たる女神!」
ベアーグラスは高らかに言い放つ。
一つ一つの言葉が、空間を震わせる。
ベアーグラスを囲んでいた影が、ベアーグラスに取り込まれる。
カレックス・ベアーグラス。
一つになったのだ。

黒い目が、タムを見つめる。
涙がうっすら浮かんでいる。
赤い空間の中、ベアーグラスは、女神の位置に立つ。
「私の役目は、世界が一つになるまで、雨恵の町の女神であること…」
「じゃあ、僕は…」
「じきに、火恵の民の上昇気流が起きます。全ての火恵の民を、あるべき場所へ」
「あるべき場所…」
「今まで雨恵の町にいた、火恵の民全てが、行き場をなくして上ってきます。それを、かの場所へ」
タムはなんとなくわかった。
そこに導けばいいのだ。
「世界が一つになったら、ベアーグラスはどうなる?」
「一つになった世界のどこかに、私はいます」
ベアーグラスに涙が浮かんだ。
ぽとりと一つ落ちる。
「けれど、みんなとは違う場所になってしまう。見つからないかもしれない」
「見つける」
「みんなとは、違う存在になってしまっているかもしれない…」
「それでも見つけます」
「…約束して」
「約束します、必ず見つけます」

不意に、タムを持ち上げんばかりの上昇気流。
多くの意思を感じる。
タムは半ば無理やりに持ち上げられる。
ベアーグラスがどんどん離れていく。
「見つけます!あなたがどんな存在になろうとも!どんなに遠く離れようとも!」

黒い目が、涙でぬれていた。
ぬぐってあげたかった。
いつかのように、ぬぐってあげたかった。

子守唄が聞こえる。
いつかの旋律が、聞こえた。


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