そうぞう


どんなに言論が規制されても。
裁けない場所はある。
本屋をやっているイジュミは思う。

この町は自由ではあるけれど、
どこかの町では言論を取り締まる法ができたという話だ。
イジュミはその知らせを残念に思い、悔しく思い、悲しく思う。
拡大解釈次第で、何でも取り締まられてしまうという。
本を売っているイジュミには死活問題の話だ。
本、漫画、絵本、取り締まろうと思えば何でもという、
漠然とした法だと聞く。
あらゆるジャンルの本が存在しているこの世界に、
特定の何かが触れられないかもしれないというのは、
可能性を閉ざすことだとイジュミは思う。
想像力の扉に悪趣味なバリケードを築くものだと思う。

言いたい苦情は山ほどある。
どうせ、と、あきらめたくない。
えらい人が何を考えているのか、本気で疑いたくなる。
本には作者があり、思いがある。
それを踏みにじる行為をしているのだと、
なぜえらい賢い人はわからないのだろうかと。

ただでさえ世の中ころころ、
散財だ質素倹約だと変わっていて、
また、金の流れが閉塞している中、
これ以上閉塞感を増すようなニュースはたくさんだ。
散財が何においても美徳でないことは、商売やっているイジュミにもわかる。
けれど、サンザインというヒーローの絵本は、
たくさんの子供の笑顔を作ってくれた。
サンザインは商売で散財しているわけではないのだろう。
みんなの懐を守るための散財。
これも、どこかの町の法では取り締まられるのかもしれない。
理由はなんだろう、質素倹約に反するから、か。
最近また流行っているらしいから、質素倹約。
イジュミはため息を深く。

法は、サンザインのようなヒーローが変えてくれるわけにはいかない。
大きく目立つ人が、劇的に何かを変えるものじゃない。
少し想像すればわかるはず。
法は、市民がこつこつと声を積み重ねていって、
はじめて変わるというものだと。
想像力の欠如は、偽物の賢人の流すままになる。
ヒーローはそこにはいない。誰もが敗者だ。
ひどい話だ。

想像力は、創造力は、誰も裁けない場所だ。
権力にも、法にも、想像は創造はとめることができない。
本は、一つの創造の塊であり、
執念の塊であるということ。
サンザインの絵本だって、そういう思いが伝わったから、
子供達のあの笑顔がある。

創作者が未熟と笑いたかったら笑え。
誰にも裁けない想像力、この強い力。
権力にも屈しないそれを、本屋は着実に育てている。


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