思い出の中の人


リンは、思い出をたどっている。
リンの姿は大きなたまねぎであるが、
この町この世界において、
姿はあまり関係がない。
異様な姿だってあるし、まともすぎる姿はかえって浮く。
そんなたまねぎ姿のリンは、思い出をたどっている。
ひとつの町があるべきところに帰るまでの思い出。
1997年5月22日のクーロン。
ゲームの名前はクーロンズゲート。
人はそれをゲームを片付けるが、
ゲームの思い出を持っていることだって、
立派な過去の記憶であり、思い出だ。
誰かの思い出、自分の思い出、
ゲームの記憶をたどっている。

個性的な店、汚れた路地、
あのときの空気がよみがえる。
リンはその思い出に騙し絵のように自分の思い出を重ねて、
浮かび上がるデータと、
そして、連鎖してよみがえる五感の記憶を見る。
感覚がタイムスリップをする。
このファイアの日に会える。
言っていた彼女にも、あの人もあの人も、
会える、この繰り返されるゲームの中で。

人の数ほど記憶がある。
思い出は風化と美化を絶妙に繰り返し、
思い出の中だけならば芸術品のようになる。
何かを表現しようとして閉じ込められたようなもの。
動かない時計のような美しさ。

クーロンという町がまたできることもあり、
リンはクーロンズゲートの思い出をたどってみることにした。
思い出をゲームの画面と言葉を乗せて語るもの。
文章に残すもの。また、画像を残すもの。
不器用に愛される陰界のクーロンという町があった。
生まれ変わったかもしれないクーロンという町は、
すべての人に目に付く場所にあるわけではない。
ひっそりと。でも、ある。

リンというたまねぎは思い出をたどる。
あの時涙しただろうかと。
思い出の中の人がいなくなったそのとき、
あるいは、何かの大きな喪失感のそのとき。
多分思い出せないままだろう。
ただ、クーロンズゲートだけでは終わりきれなかった何かを引きずって、
その感覚に共鳴する何かがあって、
今の住民は少しずつ集まってきている。

単純なことなんだ。
鳴力(ミンリー)。
似たものは共鳴するんだ。
同じ思い出を共有しているなら、なおさら。


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