芸術とは
コメットは芸術家だ。
たまにクーロンを訪れる程度ではあるが、
少し前にはクーロンに店を構えていることもあった。
芸術を売るというのが、感覚にあわなかったのか、
あるいはもっと違う理由か。
店は長くは続かなかったという。
芸術とはなんだろう。
売るものだろうか。感性だろうか。表現だろうか。
コメットは答えを探し求め、
少しずつ答えらしいものを積み重ねていく。
哲学によく似たものであるかもしれない。
芸術的経験は、一言でひっくり返されるほど、もろいものではない。
コメットの感覚はそんなにやわじゃない。
コメットには多分、
他の人に見えにくいものが見えていて、
それが芸術という形をとってあらわれ、
人々をはっとさせる。
風の流れ、雲の動き、熱の移動。
感じるけれど見えないものを、
コメットは多分見ている。
そしてコメットはそれを作ることができる。
訴えかけるものなのか。
感覚に刺激を与えるものなのか。
コメットは多分、コメットの哲学にのっとって、
芸術というものを表現している。
コメットが特別なわけではない。
ただ、芸術とは、毒にも薬にもならなかったら嘘だ。
表現というものは、衝撃と情熱がなければ、
空虚なオブジェクトの塊に過ぎない。
芸術とは何か。
言葉にしようとすると、伝わらないかもしれない。
それより、何かを作ってこれが芸術だというほうが早いかもしれない。
これがコメットの哲学を形にしたものです。
そのほうが早い。
特別なものは何もない。
けれど、特別だと思って創作をし続けること。
計算されたオブジェクト。
自分にしか表現できないこと。
感じるということと、表現するということ、作るということ。
コメットが創作するに必要なものは、
コメットの天性のものと、コメットの努力で引き寄せた。
満足するのは遠いことかもしれない、
コメットはそれでも、依頼を受けては創作する。
言葉にするよりも、
芸術にはもっといろいろなものが詰まっている。
創作物への、情熱も。
勝ちも負けもない。
善も悪もない。
表現だけがそこにあり、
芸術としてありたいものがそこにある。
一番単純であり、もっとも複雑なもの。
それがひとつには、芸術の要素かもしれない。